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奨学生エッセイ
 
 
 
日本への思い
トルコ出身。2005年2月来日。カイラングエッジ(東京)にて日本語を学ぶ。大阪大学大学院基礎工学研究科システム創成専攻後期課程在学中。
研究テーマはバイオテクノロジーのマイクロマニビュレーション。趣味は映画鑑賞。
 
 

博士前課程は終わり、博士後課程が始まったことが、私にとって日本で新しい時期の始まりでもあった。より難しい、忙しい時期である。博士前課程は学部より、博士後課程は博士前課程より難しいと先輩に良く聞かされていた。今まさにその通りであると感じているところである。日本では非常に充実した、忙しい毎日を過ごしている。

しかしどんなに忙しくても、学校の遠足やホストファミリーと行くピクニックなどが絶えない。このようなことで、疲れを忘れてしまう。そして、日本で過ごしたこの2年半の経験とできた友達で色々なこともできる。そして、私にとって研究室で過ごす時間がとても大事である。博士前課程が終わり、博士後課程に進んだ大きな理由の一つは研究室の雰囲気だと思う。

ホストファミリーと研究室の友達といつも違うことをしている。例えば、前回私は彼らにトルコ料理を作った。最初、彼らはとても驚いていた。なぜなら、私は料理ができることを知らなかったからだ。家族から離れて、今年で7年目になる。その間料理作りが上手になってきた。そして、一つ気づいたことがあった。それはおそらく日本人の男は料理作るのはあまり好きではないようだ。しかし私にとって、洗い物を除いて、一つの楽しみになっている。つまり料理作るのは好き、だがその後の片付けと洗い物は嫌いだ。女性もそれで色々苦労していると思う。

研究室の友達と作ったトルコ料理の写真をホストファミリーに見せると、自分の家でも同じようなパーティをしたいと誘われた。他の留学生と彼らのホストファミリーと集まって、みんなで、トルコでスペシャルな時に作る“MAKLUBE”を作った。この料理に新しい名前も付けた“Rice Cake”。ヨーグルトとライスの組み合わせは気に入った様で、その後3−4人に同じ料理を自分の家でも作ってほしいと招待された。私のクッキングは悪くなかった証拠だと思った。

トルコではトルコと日本の関係を若い人からお年寄りまで皆知っている。日本とトルコは地理的に遠く離れて、歴史的にもあまり関係がないように見えるが、実はトルコと日本の関係は今より100年以上前から始まっていることを知っていましたか?これは研究室の友達に言うととても気になり、みんなでトルコ人のマーチルの兵士達が眠っている和歌山のお墓に行った。日本とトルコの関係はオスマントルコの明治時代まで遡っている。明治天皇の弟はオスマントルコを訪問し、とても親しくオスマントルコに歓迎され、その返しとして、オスマントルコから日本に船が送られて、オスマントルコのスルタンの贈り物が明治天皇に渡された。そして、その船“エルトゥールル号”はトルコに帰る途中で台風に遭い、和歌山の近くで沈没する。581人のトルコ人の兵士が犠牲になったこの遭難事件では、和歌山県串本町の人々の懸命な救済のおかげで、69名の兵士が一命を取り留めた。そして日本の船でトルコに無事に送られた。実は1890年(明治23年)のこの悲劇的な事件“エルトゥールル号の遭難”が日本とトルコの関係の礎になる。地元民の必死な救済と手厚い救護はトルコ国民の頭に今でも刻まれている。

歴史的にも非常に良い関係を持っている日本に来たことを今でも嬉しく思っている。そして周りにいる日本人と良い関係を作ったことが私にとって非常に大事なことと考えている。これからの3年もこの関係をより深く、よりよくしていきたい。

 
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