ホーム サイトマップ
ホーム 財団案内 財団ニュース 助成案内 よくあるご質問 お問合せ
助成案内
助成事業について
助成実績
助成募集要項
奨学生エッセイ
2015年度
2014年度
2013年度
2012年度
2011年度
2010年度
2009年度
2008年度
2007年度
2006年度
 
奨学生エッセイ
 
 
 
私なりの国際交流
中国出身。2004年来日。
慶應義塾大学商学部3年在学中。
趣味は旅行、テニス観戦、英語。
 
 

私は4年前に高校を卒業した直後に留学するために1人で来日した。その時は17歳で、両親と離れて生活する経験がなくて、ドキドキした気持ちで東京に来た。初めての外国、初めての一人暮らし、すべてが不安なものばかりだった。それでも、いち早く日本に溶け込みたくて、日本語が下手にもかかわらず、1ヵ月後から日本の居酒屋でアルバイトを始めた。しかし、日本語がまったくできなかった私は、オーダーが入っても何をすればいいか分からず、1人でパニック状態になり、とても大変だった。こんな私を見て社長をはじめ皆は「大丈夫だよ。ゆっくりしなさい」と声をかけてくれて、とてもホッとしたのを覚えている。

また何か言いたいことがあっても、うまく表現できないために声を出すのをやめてしまったこともあった。しかし、周囲の人たちは私の日本語が下手だからといって、無視したり、怒ったりしたことは一度もなかったし、むしろ親切に日本語や仕事を丁寧に教えてくれた。

そんな中に、私のことを誰よりも気にかけてくださったあるおばあさんがいた。暑い夏を迎えたある日、昼ご飯を食べるため休憩室に入った時のことだった。暑かったせいか、食欲がなくなったばかりでなく、急に一人の寂しさを感じ、何だか心細くなってしまった。その時後ろの窓からトントンというノックの音が聞こえてきた。開けると、一緒に仕事をしているおばあさんだった。私を見たおばあさんは、「暑いでしょう! これを飲みなさい」と言いながら笑顔でジュースを渡してくれた。おばあさん自身も汗びしょびしょにかいているにもかかわらず、私のことを心配してくれていることに本当に感動せずにいられなかった。

この一杯のジュースが私にどんなに力を与えてくれたかはこのジュース自身の価値をはるかに超えた。一人の無力さ、両親が近くにいない寂しさはこの瞬間になくなったのだ。その後もおばあさんは私が一日でも早く日本に慣れるようにいろんなことで面倒を見てくれた。お正月、お盆などには私が淋しがらないように自分の家に招待してくれて、日本の生活、料理などの文化を経験させてくれた。初めての外国人に家族たちも最初は戸惑った様子だったが今は本当の家族のようにお付き合いをさせていただいている。私にとっては本当の家族のような存在となった。これから私は日本でだけでなく、中国に帰っても中国にいる外国人にもおばあさんからもらったあの温かい愛を返していきたいと思っている。

しかし、色々なつらい経験もした。中国の新聞を読みながら、電車を待っている間に日本の方から立ち位置が違うと英語で叱られたことがあった(本当はちゃんと並んでいたけれど)。バイト中にお客さんのオーダーを聞き違えたときに、私の名札を見て、日本語学校でもっと勉強しろと怒られたこともあった。他にもいろいろ嫌な経験をしたが、そういう時は一人で落ち込むのではなく、ちゃんと先生やバイト先の先輩と話し合うことによって乗り越えた。

今まで、自分の常識が通じないことで悩んだり、カルチャーショックにぶつかったりしてきたが、来日した当初と比べたら随分変わった。それは、私が日本でたくさんの経験をし、たくさんの交流をしてきたからだと思っている。交流というのは、お互いを理解させ、それぞれの違いを確かめ合って尊重できるようにするものではないだろうかと思っている。いずれの国にせよ、あのおばあさんのような親切な人もいれば、文化の違いで外国人を軽視する人もいると思う。ただ他の人から助けてもらうだけでは、なかなかうまくいかないと思う。常により多くの人と積極的にコミュニケーションを取っていくことがいかに重要なのかを特に念頭に入れている。これからも色々な人との出会いを大切にし、自ら他人との交流を取った上で、日本での毎日を楽しんでいきたい。 

 
前のエッセイ | 次のエッセイ
 
ページのトップへ
   
ご利用条件 個人情報保護について Copyright (c) 2003- Sojitz Foundation. All rights reserved.