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異文化コミュニケーションについて
モンゴル出身。1998年来日。
上智大学比較文化学部比較文化学科4年在学中。
趣味は読書、映画鑑賞、散歩。
 
 

私はモンゴルで生まれ、2歳から6歳にかけてキューバで生活し、その後ロシアで6ヵ月間過ごし、その後一時モンゴルに戻ったが、7歳から9歳までアメリカで過ごした。アメリカでは人々のオープンな所に驚いた。自己主張が強いアメリカ人と学校で一緒に学んだが、私は自己主張が得意ではないので教師に、「より自己主張しなさい」と注意された。これはモンゴルやロシアでは言われなかったことだ。2年間のアメリカ生活の後、モンゴルに小学校3年生の時戻ったが、アメリカ生活の習慣に慣れていた私は、クラスの中で騒々しいと言われ、またここでも驚くこととなった。

小学校6年の2学期から両親の仕事の都合で来日し、日本の学校へ転校した。日本の学校では、日本語も話せず一人で孤立するかと思われ、最初のうちは緊張し夜も眠れなかったが、日本人の生徒が意外に優しく、すぐ友達ができたので安心した。小さい頃アメリカに住んだことがあったが、向こうでは英語が話せるようにならないとコミュニケーションができず友達になれないが、日本では向こうから日本語ができない私に話しかけてくれた。日本で驚いたことは、モンゴルでは身分が高い人に対して本当に悪いことをした時だけお辞儀をするのだが、日本では誰にでもいつでもお辞儀をするということだ。また、モンゴルでは偶然人の足を踏んだらその人と握手をしないとその二人は敵同士になると古くから語り伝えられており、知らない人とでも握手をする。しかし日本ではそういう習慣がないため私はいつも友達の足を踏んだあと握手をすると、その度にどうしたのと聞かれる。モンゴルは遊牧民であり田舎の人々は離れて住んでいるため常に心の中で人に飢えていると思います。そのため全然知らない客が来てもその客を厚遇する。日本では連絡なしで他人の家に行くと礼儀知らずということになる。

このように日本に来て驚いたことやショックを受けたことは多い。やはり、日本、モンゴル、アメリカでそれぞれの文化の違いがある。確かに異文化間コミュニケーションはこのような大きな文化の違いがあると難しい。例えば、ハンチントンが述べたように、文明間に壁があって、それを乗り越えられないという意見もある。しかし、文明を明確に区分できず、その境界線は曖昧で混じり合っている。だからこそ、努力しだいで異文化間コミュニケーションは可能なのではないか。私も努力することで異文化の壁を乗り越えて生きてきた。たとえ違いがあっても、共通の話題から打ち解け、理解が深まっていくという場合もある。私の場合、初めて小学校で友達を作るきっかけとなった話題は人類共通のものとなっている音楽の話であった。私たちの世代は皆ほとんどポップスを好んで聴いているため、すぐにこの話で盛り上がって次第に打ち解けあうことができた。そしてもう一つ人類共通に分かり合える物はやはり顔の表情だ。こっちからにっこりと笑うと相手もまた笑顔で返してくれる。笑顔によるコミュニケーションはばかにできない。さらに、心構えとして自文化中心にならず、異なる物を広い心で受け入れることも大切なことだと思う。自文化中心にならないということは、異文化に対する偏見をなくすことである。自文化を捨てるべきではないが、同時に他文化も尊重することが異文化とコミュニケーションする上で必要だ。以上、提起してきたことを実践し今後も私は異文化の壁を乗り越え続けていきたい。


 
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