ホーム サイトマップ
ホーム 財団案内 財団ニュース 助成案内 よくあるご質問 お問合せ
助成案内
助成事業について
助成実績
助成募集要項
奨学生エッセイ
2015年度
2014年度
2013年度
2012年度
2011年度
2010年度
2009年度
2008年度
2007年度
2006年度
 
奨学生エッセイ
私の両親
 
 
 
ベトナム出身。2006年来日。
東京工業大学大学院総合理工学研究科環境理工学創造専攻修士課程2年在学中。
 
 

私にとって、人生におけるもっとも尊重している人物は私の両親です。今の私の成長は全て父と母のおかげだと思います。

私は父と母の長女の娘です。私以外、3人の娘もいるので、父と母は私たちを育てるのに毎日一生懸命働いています。父と母は結婚してから、子供の良い将来のために、田舎から都会(ホーチミン市)に移住してきました。最初のホーチミン市に来たところ、田舎のように平穏ではなく、毎日落ち着かない程忙しい生活を家族で送ってきました。それから、娘の私たちがそれぞれ生まれて、家族の生活はもっと辛くなって、父と母はもっと働くようになりました。父と母が仕事に多忙ですので、幼い頃、私は親戚に預かって貰うことが多いでした。ある日、私は熱が出て、親戚のお婆ちゃんが私を病院に連れてきました。父と母が仕事の終わりで家に帰って、私の事情を聞いて、病院に飛んできました。病院で私の姿を見たとたん、母は私を抱きしめながら、涙が溢れました。まだ幼い私はなぜ母が泣いたのか分からないが、母の腕の上にきっと温かさを感じられたと思います。

それから、私たちが大きくなって、学校に行く歳になりました。家族がいくら貧乏でも、自分がいくら働いても、父と母は娘の私たちに1日でも学校を休ませませんでした。父と母の愛情があふれる娘の私たちは貧しくても幸せな家庭で育てられました。しかし、両親の辛さも分かってきました。長女の私は何回も父と母を手伝うために、勉強をやめて仕事をしようと思いましたが、両親は反対し、絶対にやらせませんでした。母は「お父さんとお母さんがいくら働いても、いくら辛くても、あなたたちが成長するまで頑張って、働けるから、心配しないで、勉強しなさい」と言ってくれました。私は両親のその話が一生忘れません。

父と母が一生懸命頑張るかげで、私は大学を卒業して、日本に留学してきた。私の日本に留学する一つの動機は両親が応援してくれたことです。3年間に家族と離れて、日本での一人暮らしを送っていますがは相変わらず感じられます。父と母の子供になれることに感謝しています。父と母を尊敬しますので、力強くて、前向きの父と忍耐強くて思いやりのある母は私の性格に影響を及ぼしています。そのおかげで、留学の生活がいくら忙しくても辛くても毎日将来に向かって頑張っています。その結果、一か月後の修士課程の卒業式に向かう私がいます。成長したその私の姿をぜひ両親に見せたいと思います。

父と母は自分の人生をかけて、愛情をこめて、私を育ててくれました。父と母の子供になれることをいつも感謝しています。将来、親孝行として両親が幸せ生活を過ごせるように扶養していきたいと思います。「お父さん、お母さん、いつもありがとう。愛しているよ」。

 
前のエッセイ | 次のエッセイ
 
ページのトップへ
   
ご利用条件 個人情報保護について Copyright (c) 2003- Sojitz Foundation. All rights reserved.