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日本との出会い
コロンビア出身。2004年4月来日。
筑波大学大学院人文社会科学研究科国際日本研究専攻博士課程2年在学中。
趣味は、読書、ダンス、茶道。
将来の夢は、国際理解と日本・スペイン語圏との結びつきを強化すること。
研究テーマ:Constructions of Foreign Otherness in Japanese Media(日本メディアでの「他者」の表象)
 
 

小学校1年生のとき、教科書で面白い絵を見ました。それは鉛直線で半分で分かれていた地球でした。右側の半分は明るくて、昼間でした。左側の半分は暗くて、夜でした。地球の周りに色々な出身の人々の絵も描き、その中に真っ黒な髪の毛の可愛い子供たちがいました。当時の先生は「今コロンビア人と他のアメリカ大陸の人は起きています。しかし、地球の反対側の人たちは寝ています。たとえば、日本人はそろそろパジャマを着て、寝ます」と言って、その子供を指さしました。私はとても吃驚して、窓から光を眺めて、一生懸命「遠い所は今は夜だ」と想像しました。その日から何年間も寝る前に起きたばかりの日本人の姿を思い描いたり、起きた時すぐに眠っている日本人の姿を頭の中で見てみました。その当時も「反対側の人達はどんな人なのかな」と思っていました。

小学校6年生のとき、父は祖父の家を片付けながら、二冊の古い本を見つけました。一冊はSONYという本でした。絵は全然ないし、小さい文字で書いていたので、つまらないと思いました。ですが、父は戦後日本人は日本社会の成長のためよく頑張ったと説明しました。あまり面白くないと思いましたが、頭の中に父の言葉が残りました。他の一冊は表紙に着物を着ている若い日本人女性の写真が写っていた雑誌でした。内容は日本と色々なアジアの国の素晴らしい景色、人々、伝統的な道具の映像が見えました。その時、父に習ったのは時計の発明家は中国人で、日本は武士道の国です。世界は広いと思い、また吃驚しました。

高校卒業後、外国語教師になることを希望して、大学に入学しました。実は高校からフランス語の勉強を始めていたので、大学で2年生と一緒にフランス語の授業をとりました。2年生になったとき、フランス語と他の大切な授業は同じ時間でした。それで、1学期の間、フランス語をやめていたので、テーマが全然分からなくなり、楽しく授業を登録しようと思いました。科目のリストを見たら、古典日本文学が見つかりました。すぐに小学校1年生の教科書と6年生のときに見た本を思い出しました。最初の日に先生は日本文学と日本文化の話をして、茶の湯のビデオも見せていただきました。理解がよくできなかった行動がたくさんありました。ビデオを見た、その当時の自分のお茶のお手前の感想は次です。お人形みたいな女性達はきれいな庭を歩いて、石洗面器で手を洗ってから、窓のような扉から狭い部屋に入ります。その前、珍しいサンダルを脱ぎます。部屋の中に飾り物はほとんどないし、静かすぎます。小さく可愛くおもちゃみたいに上品な形のお菓子を食べます。次に同じお茶碗から参加者は濃い緑のお茶を飲みます。何分後、一人ずつ部屋を出ます。庭、建物、着物、髪の毛、歩き方、正座、写っていた映像をすべて初めて見ました。

それから毎週違う小説を読みましたので、大勉強になりました。語っていたものは私には新しく、珍しかったです。別の世界の発見をしていた感じでした。興味深くなりました。私の新しい世界についてたくさん習いたく、理解もしたかったです。思ったのは異文化の理解をするためには、言語を覚えることが必要です。それで、次の学期に日本語の勉強を始めました。

もう一度文字の書き方と読み方を覚える必要がありましたから、幼稚園に戻ったようでした。それから仮名を書いたとき、絵を描いているようでした。家族は「そんな真面目ではない勉強は大学の学習ではないでしょう」と言っていました。ですが、同時に鉛筆と紙を渡して、日本語で私の名前を書いて、日本はどんな国なのかを教えてくれるように頼みました。毎日楽しかったです。しかし、ある日に日本文化と日本語の勉強は面白く、楽しいですけれども仕事には使えないだろうと考え始めました。それから、大学卒業後、早く忘れられる悩みがありました。気持ちが変わって、次の学期には登録しないと決定しました。それでも大学は日本研究の大学代表者として私を選び、日本大使館に日本で行う研修参加者に推薦しました。それで、奨学金のおかげで初めて2ヶ月の間日本に来ました。蒸し暑い夏の昼間に到着した。空港を出た時、コロンビアから持ってきた時計を見ました。確かに家族は皆今眠っていると思いました。私はこれからも日本との関係を続ける約束をしました。それ以来、今年の夏で10年になります。

 
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