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日本での留学の感想
ベトナム出身/2006年3月来日
大阪大学大学院 工学研究科機械工学専攻 博士前期課程 1年在学中
趣味:スポーツ全般(特にサッカー、バドミントン、卓球)
将来の夢:日本・ベトナム間の技術交流のために貢献すること
研究テーマ:確率共鳴効果を用いたマイクロ流れ場の計測(ノイズを高精度計測に用いる研究)
 
 

留学生の共通の想いとして挙げられるのは懐かしい故郷への想いであろう。今回、私が皆さんに紹介したいのは、自分の中で故郷への懐かしみがそれに凝縮し籠っているものである。朝飯として故郷の人々に馴染まれている「バンクォン」という食べ物である。

ベトナムへ行ったことがある方ならきっと毎朝見ていた光景があると思う。道の両側はたくさんの様々な屋台がオープンして、お客が混み合っている光景である。「バンクォン」も毎朝作られ、にぎやかな街中の屋台へ運ばれ、朝飯として人々に提供されている食べ物である。写真をご覧いただくと、一番大きい皿に乗っている白い色の食べ物が「バンクォン」である。その上に、薄くスライスされ揚げられた特有な香りをするラッキョウが載せられている。「バンクォン」の側には必ず茶碗に入れられた、特殊な付けタレと、豚ミンチから作られたトッピングがつく。そのほかは、オプションとして野菜とスダチがつけ添えられる。

私は、「バンクォン」づくりを昔から伝統的な業としていた村で生まれ育ったのである。封建時代には王様にも献上され、この村の特産で古い伝統がある食べ物だと村の長老たちから聞いた。私の両親のお祖母さんや父母のお姉さんと妹さんたち、そして母もこの仕事を受け継いで来た。村のすべての家庭も独自なつくり方で独自なおいしい感受性で「バンクォン」を毎日作って自分の借りた屋台へ持って行き街の人々に提供している。私は母の「バンクォン」づくりの仕事の手伝いをしながら育った。「バンクォン」を作ることは実に大変である。伝統な食べ物だからこそ、長年精選され、厳選された香味だけが残されたからこそ、そして村の誇りの業だからこそ、「バンクォン」づくりのすべての工程にこだわりがあり、秘訣も隠されている。毎朝おいしい「バンクォン」を提供するために、前日から準備作業が始まっていた。おいしい「バンクォン」を作るには特に2 つのポイントがある。

一つ目のポイント:厳選されたお米を数時間きれいな水に浸けた後、洗ってから水が垂れる状態で石臼で挽き、とろとろした状態にされ一晩寝かされる。このとろとろ具合はお米の質によるため、お米を厳選する必要があったのである。また、石臼を回すときの水の量も十分な配慮が必要である。石臼の接触面に最適な粗さを施すのはまた石臼職人の技が要るのである。これらの要素は「バンクォン」づくりのために最高なとろとろ状態にある米粉液を作り出すために尽きるのである。

二つ目のポイント:写真では「バンクォン」が巻かれている状態であるが、最初の蒸された直後のときは薄くて平たい状態である。「バンクォン」の最高な食感はこの薄さに大きく左右される。薄くて破れないために米粉液の添加量の適当な調整と、蒸された最適なタイミングで釣り上げるときの手早さが必要である。実は出来たて「バンクォン」を人々に提供するために、おばさんたちは朝2 時くらいから起きて、一晩寝かした米粉液を使って「バンクォン」を蒸し上げなければならないのである。私は、日本に来る前にずっとあの石臼を回したり、母が屋台へ行く前の準備をしたりしていた。

私は小さいころ、時には「バンクォン」づくりの手伝いを嫌と思いながらやっていた。そのころは故郷の貴重な伝統業の価値を理解できなかったのである。私の故郷が田舎であったが、今、急速に都市化に飲み込まれつつあるため、伝統業を守って受け継いでいく意識が薄くなっている。遠く離れ、故郷の「バンクォン」を毎日懐かしんでいる自分はその事実を知りとても寂しくつらく感じていて故郷の「バンクォン」を守りたいと強く思う。

 
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