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奨学生エッセイ
 
 
 
京都
米国出身/ 2013 年8月来日
早稲田大学大学院 国際コミュニケーション研究科 修士課程1 年在学中
趣味:読書
将来の夢:日本のテレビ制作会社に入って、面白くて、感動させる番組を作りたい。
研究テーマ:日本のドラマの働く女性の表現
 
 

Benjamin Lee Whorfというアメリカ人言語学者は、「語学言語は考え方を形にして、何が考えられるのかを決めます」と言いました(“Language shapes the way we think and determines what we can think about.”) 。もう6年間ぐらい日本語を勉強し続けてきましたけど、毎日この表現の事実を感じています。

家族はドミニカ共和国からアメリカに来ましたので、ずっと実家で英語もスペイン語も話しました。両方とも話せますけど英語力の方が強くて、「スパングリシュ」というミックスをよく喋りました。そのおかげでスペイン語のレベルはネイティブに近いから、いつも「私は凄い!」と思いました。

10歳の時、「セーラームーン」のアニメのおかげで日本と日本語に出逢いました。その時からずっと日本語を勉強したかったのですが、近所には日本語を勉強する機会が全然ありませんでした。14歳の時、自分でひらがなを勉強し始めて、少しだけ日本語を話すことができました。「店はどこですか」ぐらいのフレーズが話せたので「もう日本語喋れるじゃん!」と思いました。とても甘かったです。

18歳の時、大学に入って、専門を日本語にしました。もうひらがなと挨拶を知っていましたから、1年生の初学期は全然注意を払いませんでした。文法などもちゃんと勉強しませんでした。その時の私は本当に甘すぎました。

2年生の時、日本語の授業は急に難しくなってしまいました。1年生の時、ずっと遊んでいましたから2年生になる準備が出来ていませんでした。その年、名古屋の南山大学の学生が私の大学に留学していました。その留学生の二人は優しくて、日本語を勉強している学生たちの会話練習の相手になってくれました。その会話練習で私は初めて本当の日本語を使ってみる機会が出来ました。完全に失敗しました。何も話せませんでした。子供のころからバイリンガルだったから言語は簡単だと思い込んでいましたのに失敗しました。その甘すぎた私に本当にひどい幻滅を感じていました。

でも、その幻滅から自分についてもっと分かりました。大切なことが学べました。日本語に憧れたのにどうしてそんなにふざけていたのだろう? ちょっとしか分かってなかったのにどうして私は「もうぺらぺらだよ」と思っていたのかな?

会話練習に行った時、何も考えられませんでした。本当につまらない人になってしまいました。日本語が分かりませんでしたから考えるのも話すのも無理でした。その私が嫌だと思いましたから、「日本語をちゃんと勉強しなきゃ」と覚悟を決めました。

3年生の春学期に名古屋に留学することが決まりましたので、寮の部屋の隅々まで日本語の文法ルールなどを貼りました。起きる時も、歯を磨いている時も、寝る時も、いつも日本語が私の周りにありました。そして名古屋にいた時はまだ日本語力は足りませんでしたけど少しずつ話すことが出来ました。もっと面白い人になれました。

私はまだ毎日日本語を勉強しています。本を読んだり、漢字の書き取りゲームをしたりして、いろいろな作戦があります。その甘すぎた2年生の私が日本語の会話で失敗しなかったら、まだ甘すぎる人生を送ってしまったかもしれません。私の現在の日本語のレベルでは、考えることがまだ伝えられない時があります。まだ自分の日本語に不満足です。でも毎日ぺらぺらの日本語を目指して走り続けています。

 
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