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奨学生エッセイ
 
 
 
心を尽くすこと
韓国出身/ 2012年3月来日
慶應義塾大学大学院 法学研究科 博士課程3 年在学中
趣味:料理、映画鑑賞
将来の夢:大学の教員として研究を続けること
研究テーマ:過失犯に関する日韓比較研究
 
 

私は去年留学生活の中、初めてスランプに陥った。研究が思い通りにうまく行かず焦りを感じていた。日常生活での日本語とは異なる「書く」日本語を使い、「うまくできるひと」の印象を与えるために悪戦苦闘していた。しかし、結果はいつも自分の期待には及ばなかった。そこから、日本語で論文を書くこと自体にプレッシャーを感じ始めた。

少し論文から離れたいと思い、友達を誘って展示会へ向かった。それが「相田みつを展」であった。相田みつをは、友達からの手紙や話で名前を耳にしたことはあったが、実際に展示会へ行くのは初めてであった。日本で美術や文化財の展示会は何回か行ったことがあったが、詩の展示会は初めてだった。興味がある反面、詩の展示会はどうなのかなという思いもあった。私の考える「詩」というものは、日常生活ではあまり使わない表現や単語で書かれ、その内容に含まれている感情もその国の言葉を母国語とする人でなければ共感することが難しいものだと思ったからだ。しかし展示会に行ってみると、私の先入観は覆された。短く平易な文体で書かれている作品が展示されていて、大きさも形もバラバラに書かれている文字は絵のようであった。詩の内容も素直でシンプルであったため、外国人の私も理解しやすいものであった。典型的な詩というものからは少し離れているようにみられる彼の作品の前には、沢山の人が集まっていた。

その日は文化の日ということもあって、運よく相田みつをの長男の話を聞く機会に恵まれた。話の中、山ほどの紙の隣で写されていた相田みつをの写真に目が止まった。一文字を書くために何百何千枚の紙を使用したり、印刷のわずかなズレも許さなかったようだ。彼の作品が人々に愛されるのは、その裏にある作家の血の滲むような努力があったからではないのかとその時感じた。

当時の私は、良い論文をみせるために、難しい単語や華麗な文章に執着し、本質的な内容を閑却していた。自分の日本語の能力をひけらかすため無理矢理入れた単語や文章は、逆に全体的なバランスを崩し、本質を曇らすこともしばしばであった。難しい文章ほど専門的文章という勝手な思考による「より難しく」「より飾られている」文章への偏りは、私が「書きたい」ものを「書けなく」する原因となってしまったのである。私は、専門性を難解性から導き出そうとしたのかもしれない。しかし、彼の展示会をみて、専門性は、表にでる華麗さではなく、その裏に隠されている努力であることを感じた。誠意をもって、自分の話したいことを黙々と書くのが本当の意味での専門的なものではないだろうかと考えさせられる機会でもあった。

展示会の観覧を終え、彼の詩が書かれてあるハガキを買った。「ありがとう」、「にんげんだもの」など、彼が送るメッセージは、簡潔ではあるが、確かに心に響く力があった。

今も、日本語でものを書くことは決して簡単ではない。しかし、前よりは、飾ることではなく飾られていることに重点を置こうとしている。これからも、「くじけてもいいんじゃないかにんげんだもの」という彼の言葉に背中を押されながら、残りの留学期間、また、人生を生きていきながら、学問においても、人との出会いにおいても、外面より内実がしっかりしている人になれるように頑張っていきたい。

 
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