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奨学生OB・OGからのエッセイ
 
 
 
“奉仕の心”にいつまでも感謝する
中国内モンゴル出身。1998年来日。九州大学大学院人間環境学府都市共生デザイン専攻。
2006年3月卒業。現在同大学院人間環境学研究院特任助手。
 
 

私は2001-2002年に奨学生としてお世話になった那仁満都拉(ナランマンドラ)と申します。1998年に来日した最初のころは、日本の言葉や食べ物、習慣などが違って困ることもたくさんありました。特に、経済的に遅れている中国の内モンゴルから来た私にとっては、日本の物価があまりにも高かったです。そのため、アルバイトをしないといけなく、このままなら日本へ留学した目的を果たせなくなるかなと大変心配しておりました。しかし、そのような状況から脱出し、日本の文化と接するチャンスを増やし、勉強にも専念できるようになったのが日商岩井国際交流財団の奨学生として選ばれた切っ掛けだと思います。ここで記し、深い感謝の意を示させて頂きます。

まず、日商岩井国際交流財団の奨学生になり、学費や生活費について心配する必要がなくなり、研究に専念できるようになりました。私の専門は地震被害予測なので、国内外の現地調査、発表会に参加することが多いのですが、経済的な理由から断ることもなくなり、順調に楽しく参加できるようになりました。また、留学生の場合は、言葉や習慣などの壁で日本の学生と同じように学校の単位を取るか、研究成果を出せるのが日本人の学生より長い時間勉強する必要があると思います。そう言うことから、奨学金のお陰でアルバイトをする必要がなくなり、その時間を勉強に転換できたことが、私の留学生活を大きく転換させたと思っております。修士課程の2年間では、勉強に専念できた結果、研究内容も大きく進展することができ、修士課程を卒業する時に「九州大学人間環境学府学府長賞優秀修士論文賞」および「日本コンクリート工学協会九州支部支部長賞」を受賞することもできました。これは、日商岩井国際交流財団の奨学金を頂いてなければ出来なかったことだと思っております。その後、修士課程で行った研究内容をさらに深め、昨年の4月に博士課程を無事に卒業し、現在は九州大学大学院人間環境学研究院で特任助手として働いております。

また、日商岩井国際交流財団の経済的な支援だけではなく、学校でなかなか勉強できない日本の社会的なことや日本文化を勉強し始めたと言えるし、自分自身の考え方も大きく前向きになりました。毎年の交流会で理事長を始めとする日商岩井国際交流財団の方々と奨学生との友好交流、日本の文化や習慣の紹介、魚釣りや日本の伝統的なゲームなどが私の日本での始めての経験が多かったし、非常に印象的でした。一方、同時に分からなかったこともありましたし、なぜ、財団から奨学金を下さるかなと思ったこともありました。しかし、日商岩井国際交流財団の奨学生として二年間を経験して「日本人の国際交際活動及び世界平和を大切にする奉仕の心」に気付くようになりましたし、感動しました。同時に、自分はいつまでもお世話になるばかりではなく、自分ができることから他人に役立つことがしたいと思い、自ら日本の社会活動や友好交流に積極的に参加するようになりました。その中で、2005年の夏休みに行なった「グローバルトレーニングスクールin内蒙古」について紹介させて頂きます。

「グローバルトレーニングスクールin内蒙古」とは福岡県宗像青年会議所の企画により行われたもので、日本人の中学生が内モンゴルでの生活、習慣、文化を体験し、違う角度から自分を見つめ直し、幅広い視野を持った地域のリーダーの育成することと文具が不足している内モンゴルの生徒を支援することを目的とした国際交流でした。宗像青年会議所のメンバーを含む25人が、私の実家である電気やトイレがないゲルに泊り、野菜が少ないモンゴル料理を食べて、身振り手振りで地元の人々と心の交流を行いました。日本の子供達は羊の解体から料理作り、牛のミルク絞りからチーズ作り、羊の薬洗い(池のようなものに羊を一匹一匹入れる)、井戸水を肩で運ぶなどモンゴルの生活を体験しました。また、草原で羊の群れを追ったり、泉に入ったり、山に登ったり、草原の星を見学するなど沢山の自然をも経験しました。さらに、友好交流としては私の村の小学校とホーリン市のモンゴル中学校に行って、モンゴルの生徒に文具などを自ら手渡し、その後にモンゴルの生徒とモンゴル相撲・サッカー・バスケットボール・歌・踊など文化交流を行いました。交通の不便や食事が合わないことなどもあり、風邪ぎみの日本の生徒もいましたが、良く頑張って交流に参加しました。その汗だくの姿と笑顔から日本の生徒達は内モンゴルの草原から少しでも人生に役に立つ精神や文化を習ったのではないかと思いました。一方、故郷の人達にとっては、日本人が村に行って友好交流をしたのが歴史で初めてであり、日本人の子供達の笑顔・日本の歌・踊・家事の手伝いなどを見て大変嬉しかったそうです。特に文具を貰った内モンゴルの生徒達は非常に喜んで、日本人の生徒から自分の手にサインして貰う様子も見られました。今後、勉強を頑張るのはもちろんのこと、日本という先進国があることを知り、大きくなったら日本に行って見たいという気持ちになったかもしれない。今回の交流を通して、日本の子供達と内モンゴルの子供達にはいつまでも友好的で、お互いに勉強し、中国と日本の懸け橋の役割を果すような人材になって欲しいと思いました。

モンゴル語の中でも、「万歩の第一歩が難しい」と言うような諺がありますが、私の日本留学期間中で困難な第一歩の時期に支援して頂いたこそ、今の充実した生活や楽しい仕事があると思っており、日商岩井国際交流財団の皆様に深く感謝しております。これからも、自分の研究や仕事だけではなく、日本社会や国際交流など活動にも参加して行きたいと思っております。引き続き、ご指導、ご鞭撻をお願い致します。

2005グローバルトレーニングスクール in 内蒙古
 
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