日本大衆文化の輸入が禁止されていた1998年の夏。当時、私はロックグループ「X-JAPAN」のアルバムを聞き、韓国の音楽にはなかった新鮮なサウンドに戦慄を感じました。日本語の歌詞を理解することはできなかったが、そのメロディーは血管まで染み込み、日本について16年間教えられてきた国家的先入観を超越しました。禁じられたことに対するオアシスとも言えるカタルシス的な清涼感であり、私の人生最初のカルチャーショックでした。
2001年、大学に進学し、この様な自分の経験を明確に認識したいと考え、東アジア語学部に進学した。大学2年生の時、発表の中で高評価を得たものは『日本のヴィジュアルロックの起源について』というレポートでした。日本伝統芸術の歌舞伎文化と、現代のヴィジュアルロックの美意識という一見似つかない文化間に、意外な共通点があることを考察した内容でした。その後、社会科学的な接近の必要性を感じ、大衆文化とマスメディアに関わる授業を多く専攻しました。日本の文化についての関心は更に強まり、2005年には、学校からの日本探訪団の参加、2006年には駐日韓国大使館の韓国文化院のインターンシップなどの経験を経て、2007年には『韓国のメディアコンテンツがもたらした、日本人の対韓国イメージ認識の変化について』というテーマで卒業論文を提出しました。
卒論では、韓国のドラマが日本社会にもたらした肯定的変化に対して確認することができ、ひいては韓国が、東アジア共同体の多文化を同時に受容したり均衡あって、内実ある発展を成す必要性があると結論を出しました。しかし実際日本に比べ現在の韓国社会は、多文化協調のための努力がなされているだろうか? 例えば、日本のNHK,日本テレビ、フジテレビ、TBSなどでは主婦層に人気の韓国ドラマを、平日昼や深夜時間帯に放送されているが、韓国の主要放送局のKBS、MBC、SBSなどで日本ドラマを放送するということは前例がなく、今後もほとんど不可能であるように感じます。
まだ韓国社会の中では日本に対する壁が高いと感じます。日本に対するアレルギーを乗り越える方法はあるのだろうか? 私は日本大衆文化開放前の日本のヴィジュアルロックが韓国にもたらした、独特の社会現象の中にその糸口を捜すことができると考えています。2002年以前までは、日本の大衆文化は法的に輸入が禁止され、社会的にタブーであったため、日本のアニメを中心に少数マニアによる趣味程度に留まっていました。しかし、当時日本と韓国の経済的危機という国家的混乱と世紀末的な不安感、デジタルメディアの発達による音楽産業構造の変化、またインターネット普及の拡散などの複合的な要因により、日本のヴィジュアルロックは韓国の10〜20代の若者達に、新しい文化として爆発的な需要増加と自発的な接近が成り立ったことが特徴的です。
またこのような関心が日本大衆文化全体に広がり、当時韓国の歌手や各種バラエティー放送及びドラマで、日本作品の模造問題が明らかになり、関連歌手の引退や番組プログラムが廃止になる大きな社会問題を引き起こしました。これがきっかけで韓国は、大衆文化の反省とともに、韓国独自の文化を生成する努力を促す重要なターニングポイントになり、今日の韓流ブームも存在することができたと考えています。 |