私は2006年6月中国の大連医科大学を卒業しました。同年日本へ留学しました。その理由は日本の先進的な医学技術を学び、将来帰国して、中国の医学領域の仕事に就き、日本で学んだ技術を活かして中国の現代化に貢献したいと考えたからです。日中両国の科学技術の交流を深める橋の役割を担える研究者になりたいと考えております。
中国では1979年から「ひとりっこ政策」と「優生優育」の政策が出ました。それから30年間経って、女性の成育問題は社会の重要な問題の一つになりました。妊娠から子供が産まれるまで、どうやって健康な赤ちゃんが産まれるのかは非常に関心が高いことです。
私の大学時代の先生の奥様は、不妊症でした。二人とも自分の子どもがとても欲しかったので、いろいろな病院で検査して、薬をのんで、ホルモン治療をして、妊娠するまでに13年間かかりました。最後にかわいい赤ちゃんが産まれ、とても幸せでした。そのとき私は不妊症の治療に興味を持ちました。不妊症の患者さんの困ったことをより理解して、不妊の治療について勉強したいと考えています。それが私の夢です。
日本へ来て、日本語学校で一年間言語を勉強しました。その後、九州大学に入学しました。産婦人科の研究生になって、当初、教授との話し合いで不妊症について専門の言葉は難しいので、周産期の中国の先輩と一緒に勉強した方がいいと言われました。だんだん日本語が上達したら、不妊症について研究していけるだろう、とのことでした。それから1年間で周産期に勉強しました。2008年4月九州大学医学系学府博士課程に入学し、産婦人科医の内分泌生理学について勉強しています。女性ホルモンが関与する様々な疾患の検討を行うと共に、各疾患の発生機序を分子生物学の手法を用いて遺伝子を調べて解析し、いろいろな実験をやります。最初から簡単な実験でもすごく苦労して、講義もなかなかわかりませんでした。幸いなことに、同じ研究室の人たちはとてもやさしい熱心な人たちです。いろいろなことを手伝ってくれました。実験の方法やレポートや講義などに慣れるようになってきました。今でも実験で忙しくても、友達と励まし合いながら、ものをつくる楽しさを実感することができ、いい経験になりました。先輩の意見を交換し、時には抗論しながら進めるのは難しい面もありますが、人間的に成長できたと思います。異国での生活は難しかったです。ずっとアルバイトをしてだんだん忍耐力と親和力を上昇して、いい経験のチャンスがあります。たくさん友達ができて、友達と励まし合いながら好きな学習ができて素晴らしいことだと思っています。これからも目標を持って夢に向かって進んでいきたいと思っています。
私は2006年10月に日本に来てもうすぐ3年になります。留学の経験をまとめて、いろいろなことを自分でやっているし、勉強も進んでいるし、それは成長の証です。今の私は九州大学にいて毎日新しい挑戦をしながら楽しく生活しています。毎日少しずつ進んできて、早めに夢を実現し、社会に役立つ人物になるため勉強と研究を頑張りたいと思っています。 |