私は去年の財団だよりにて、「日本人は、はっきりと答えを出さないのか、なぜ言動が一致しないのかなど」について書きましたが。今回は、その話に対してある親しい日本人(辰巳氏)の意見を述べたいと思います。
彼はこう言っていました『“日本人ははっきりとした意思表示はしない”たしかにそうだと思います。私もそのうちの一人だと思います。しかし、それをいちがいに悪い事だとは思っていません、それは日本文化の精神でもあり、相手を尊重し、敬う心が習慣の一つ一つに入っているからです。日本の言葉にわび・さび(侘・寂)という言葉があります、私は古都(奈良)に生まれ育ち身近に世界的歴史建造物に触れて生活をしてきたという事もあり、このわび・さびの古き良き日本の精神をすごく大切にしたいと思っています。
「わび」も「さび」も日本の伝統的芸術における最高の美意識です。
「わび」は千利休(茶道)が究極の美的感性として目指したもので、華美さや虚飾をさけたそこはかとない静寂さが漂った落ち着いた状態のこと(つつしみ深くおごらぬさま)。
「さび」は俳人の松尾芭蕉が求めつづけたといわれています。中世の幽玄・わびの美意識にたち、もの静かで落ち着いた奥ゆかしい風情が、洗練されて自然と外ににおい出たもの。
と言葉で説明してみましたが言葉だけですぐに理解していただくのはかなり難しい、いや無理かもしれません。
“日本の文化は欧米の文化に比べて言葉を重視しない”と聞いたことがあります。つまり、あらゆる物事を言葉によって具体的に表現して伝達することを当然とする欧米文化に対し、日本文化は言葉では表し難いことを時には抽象的に、時には情緒的に表現してお互い心で分かち合ったような感覚を以って「コミュニケーション」としている。この是非はともかくとして一理あるなぁと納得した事があります。
「わびさび」はその最たるもので、完全に言葉で表し説明することは難しいです。「わびさび」を分かりやすく理解していただく方法としては、日本の生活習慣や文化等を一緒に体験して「こういうのがわびで、こういうのがさび」とその場で説明することの繰り返しだと思います。或いは、日本文化と外国文化との違いを具体的実例に挙げて比較し、その違いを分かってもらう、例えば、マスタードの辛さ(外国文化)とワサビの辛さ(日本文化)の違い?とか、満開の花を愛でる場合が多い外国人に対して花が散る様子を愛でる場合が多い日本人の感覚?とか……。
あと、安易な発想に思われるかもしれませんが、映画『ラストサムライ』をそうしたことを意識して見てみるとわびさびも含めた日本的感覚が垣間見れるかもしれません。私自身は近代化(欧米文化)と伝統(日本文化)の対立を描いたこの映画を見て、わびさびも含めた日本の文化と感覚が世界の人々に伝わってくれるのではないかなぁと思えました。勿論、他にもそういう映画等は色々あると思いますが……。
いずれにしても「言葉で表しきれない」物事が多過ぎるのが日本文化であり、それは決して不便でも悪いことでもなく、むしろ日本の文化や社会の進展の重要な要素であったということを分かっていただきたい、その第一歩として「わびさび」を理解し、体験して感じて頂きたいと思います。ある時、国際会議において、日本人が演説発表したのを聞いた外国人の参加者たちは「彼は詩を吟じているのか」と漏らしたそうです。意味を伝え、意味を理解するよりも、あたかも詩のように情感を伝え、情感を感じ取ることが大事と心掛ける。それが日本文化の精神であり、「わびさび」に通じるものではないかと思います。』と、
それから数日後、彼が私に「わび・さび」を感じとって理解してほしいと、京都を案内してくれました、まずは、金閣寺にて金箔でまぶしいほどの金閣を見学し、大徳寺では枯山水(砂をしきつめた中に石をおき、シンプルだけど飽きない究極の無駄のない庭園)を見学し、しばらくじっと座って庭園をのんびり眺めました。この体験で私は「わび・さび」を見て感じ、少し理解出来た気がしました。
そして、「日本人は、はっきりと答えを出さないのか、なぜ言動が一致しないのか」という疑問やなぞが彼との会話、体験で日本文化の違いを段々と理解していく事により、疑問やなぞではなくなり、さらに日本文化へいっそうの興味を持てた事は彼に大変感謝しこれからの生活においても新たな財産となりました。
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