私は08-10年に、双日国際交流財団にお世話になっておりました。応募中の他の奨学金がすべて不採用で、大学生活に途方にくれていたところに、事務局長の川崎さんから、採用の電話を頂き、驚きと嬉しさでエレベータの扉の外にあるガラスに頭をぶつけたのがつい昨日のことのようです(身長約190p)。おかげさまで、経済的な心配をせずに勉学に没頭できました。東京大学大学院に合格し、私の分野では日本の第一人者であろう、柳田先生の下で学べることになりました。また、毎年の交流会もとても楽しくて、様々な国の方と意見を交換できて、非常に有意義な時間を過ごさせていただきました。東京大学の合格通知を頂いたのは、ちょうど、交流会の最中で、皆さんに祝っていただきました。双日との今までのそしてこれからの思い出は、私にとって、一生の宝です。
さて、何を隠そう、私の夢はノーベル物理学賞を取ることです。この夢は私が高校の頃から持ち続けたもので、両親によく馬鹿にされます。叔父の前で馬鹿にされて、叔父が「良い兵は、将軍になる夢を持つ」とフォローしてくれたのですが、心の中で「結局、兵どまりが前提か」と突っ込みを入れたことを覚えています。壮大な夢を語る=現実が見えていない、と思われるのが嫌だったので、次第に夢を語るのが恥ずかしくなりました。それでも、私は夢の実現のために努力と代価を払ってきました。日本への進学コースがある高校でもなかったのに、最先端の物理を学びたい一念で、家族友人と離れる決心をして、日本に留学を決めたことが、その例です。しかし、結局は個人の力であり、テスト対策もあまり出来ず、念願の東京大学は不合格に終わり、東北大学に進みました。
とはいえ、東北大学はすばらしい大学で、様々なことが学べました。また、ここで、双日と巡り会えたことが人生の大きな歯車だと感じました。東北大学でも、夢を語ることはほとんどなく、夢を語ったら負けと思いました。一心不乱に夢に向かって努力していた甲斐があり、ここだけの話、東北大学では、私の分野でぶっちぎりだったと思います(笑)。なので、東北大学の大学院は100%志望研究室に入れる自信がありました。しかし、何かを成し遂げるためにはそれ相応のリスク、代価を支払わないといけないという概念が私にはあります。だから、東北大学の大学院より、受かるかどうか分からない東京大学を受験した方が、夢に近づけると思いました。
東京大学で、新入生と、先生とで、飲み会に行きました。そこで、先生がノーベル賞を取りたいといいました。私を含め、そこにいるほぼ全員が、同じ夢を持っていることに驚きました。そして、何よりノーベル賞を取りたいと言う先生が輝いて見えて、かっこいいと思いました。そうか、これからのステージでは「ノーベル賞を取る」のような非現実的なことを「言ったら」負けではなく、「ノーベル賞を取る」ということを非現実的だと「思ったら」負けなのだと思いました。
ノーベル賞を取るのは簡単ではないことも、分かっています。理論物理学者として生き残ることでさえ、難しいことで、努力が大前提であり、その上で好運が重なり、初めてノーベル賞にたどり着けるのだと思います。夢への階段はまだまだ残っていて、先生のように真面目な口調で夢を語れないですが、それでも、私は自前の楽観主義と自信過剰で、階段を上り続けます。支えてくれた双日を初めとする人々に、今までの自分に、恥ずかしくないように、年中無休で、物理を極めたいと思っています。
そしていつか、先生のように、キラキラを撒き散らしながら言いたいです。「夢はノーベル賞」と。
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