私の母国であるスリランカでは1979年からテレビ放送が始まりました。私が小学生のころには、まだ十軒に一軒ぐらいしかテレビのある家はありませんでした。そこでテレビのある家に近所の人が集まってテレビを見ていました。テレビを見るといっても、多くの人がテレビドラマしか見ませんでした。ドラマが始まると、テレビのある家は映画館の様に人で溢れにぎやかになります。その時代、放送していたほとんどのドラマは村の人々の日常生活を話題にして作成されていました。そのため、子供から大人まで一緒に楽しめて、家の皆がなか良く会話を出来る一つの話題でもありました。
そのころシンハラ語に翻訳された「おしん」という日本のドラマが一番人気を浴びていました。内戦でスリランカの経済と社会が大きな影響を受けていた時代なので、「おしん」に出てくる日本の経済や社会と似ているところが多くあり、多くの人々に一番愛されたテレビドラマになったと思います。また「おしん」によって桜、箸、木のスリッパ、着物、酒などだけではなく、山形県、佐賀県などもスリランカの人々に知られるようになりました。そのほか、「おしん」では東京を中心とした経済の発展とともに日常生活などの変化も出て来るので、発展途上国である母国の人々に先進国についてのイメージも与えられました。
そのような経験があった私は、7年前来日しました。そのときはまだ日本語がよく分からなかったので、ドラマを見てもあまり理解できませんでした。その後、日本語が出来るようになり、またドラマを見るようになりました。「世の中の物事は複雑な計算問題のように見えるけれど、実は簡単な算数の問題だと教えてくれる『ガリレオ』」、「自分で産んだ子ではないのに自分の子のように育てるおかあさん、自分の幸せよりも妹の命を大切にしているおにいさんの話が出てくる『流れ星』」、「死刑制度がなければ自分が起こした罪を見直さない殺人犯たち、死刑確定者になって折角自分の罪を見直したのに殺されてしまう死刑確定者たちとの間で迷走中の日本の死刑制度の話が出てくる『モリのアサガオ』」など多くのドラマを見ました。
これらの多くのテレビドラマでは日本の社会で頻繁に起こっている物事が元になっています。それによってドラマの製作者は多くの国民に関心を持って見られる作品を生み出していると思います。またこのようなドラマは製作者の独特な考えが入っている作品でもあります。このようにして、製作者はドラマを通して、社会で頻繁に起きている問題を多くの人々に理解してもらい、より大きな反響をおこして、一般国民の考えや意見を新たに生み出すことをねらいとしているのでしょう。そして、皆が関心を持つことで、また二度と同じ問題が起こらなくなると思います。
ところがこの様なドラマによって生み出される新たな問題や犯罪もあると思います。ドラマに出てくるキャラクターを好きになる少年の夢はそのキャラクターになることで、キャラクターの真似をして色んな問題や事件などを起こすことがあります。また、詐欺や犯罪を起こす人たちは、ドラマを通じて、新たなアイデアや技術を生みだす可能性もあります。その他に世の中の注目を浴びて有名になるためにテレビドラマを真似して罪を犯す人もいます。また、ドラマの製作者の考え方だけが広がって、新たな考えを生み出せない環境にもなる可能性があります。
このようにテレビドラマには良いところも悪いところもありますが、良いところだけ受け取ることで、社会についての知識も増え、物事についての考え方も変わって来ると思います。 |