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夜間学校についての考えが変わってきた
モンゴル出身/ 2009 年来日
神戸大学 工学部情報知能工学科 4 年在学中
趣味:バスケットボール、サッカー
将来の夢:大学の先生、システムエンジニア
 
 

実を言うとモンゴルではほとんどの若者が一回ぐらいは留学してみたいと思っている。モンゴルは人口が300万人にも足りない小さな国である。だから自分が大きな世界に入ってこの世を違う目で見てみたいという考えである。中学校の時だと思うが、歴史の先生が色々な話をしてくれた。今の日本と韓国がどうやって先進国になったのか、その理由は「第二次世界大戦後、たくさんの大学生をヨーロッパとかアメリカへ留学させ、その人々が今の日本と韓国を作った」と教えてくれたのを今も良く覚えている。これ以来、私も留学したいと考える人達の一人になってしまった。行きたいと思っていた国々は本当に多くて、アメリカ、ポーランド、イギリスとか迷っていたが、日本に来るとは本当に思っていなかった。

次は高校に入った。高校では中学校とは違って数学に夢中になり、他の授業にあまり興味がなくなった。当時はモンゴル人が日本の相撲で凄い成績を出し始め、これを切っ掛けに日本の文化がモンゴルで急激に進化していった。モンゴルのテレビでも日本の相撲、アニメ番組とかが出たりする時期だった。料理の番組で寿司を見て生の魚を食べるのだと思ったのも、焼き肉食べ放題がモンゴルにあったら良いなと思ったのも気になった。一番吃驚したのは皆でお風呂に入る温泉を見た時だった。その時から日本の文化にどんどん興味を持ち始めていた。

留学したいと思っていたが、何となく数学を専攻とし、大学に入学した。入学した時から、このまま卒業したら学校の先生か数学者になるしかないという悩みがあった。1年生の時、プログラミングとアルゴリズムの授業をとったことで新しい道を考える様になった。それが『IT エンジニア』として留学をする道だ。最初は勇気が足りず、色々迷った。大学に入ってから初めてプログラミング言語はそういう物なんだと知ったこともあって、新しい専攻を選んでうまく行くのか、選んだ分野で仕事ができるまでの知識を得られるのかと迷っていた。

ある日、テレビで日本のエンジニアたちのもの作りや開発について『プロジェクトX』という番組が出ていた。それは『池田敏雄』という人物が日本初のコンピュータを作る物語であった。見てとても感動した。感動よりも数学が出来る人は良いエンジニアになれるという信念を貰った。何故かというと『池田さん』は数学がとても上手な人であった。その後大学の先生から事情を聞き、数学が出来る人こそエンジニアになるのだと教えて貰った。あの時に留学をするなら日本でIT エンジニアとして留学をするのだと決めた。

私の家の近くにモンゴル・日本人材発展センターという、2階建の中がとてもきれいな建物があった。中には図書館があって、誰でも入って勉強することが可能になっていた。静かで私は本当に良く集中できるなと思い、頻繁に訪れていた。そこでは日本の本や雑誌、日本の大学の情報までも得ることができた。そこで初めて日本へ留学するための文部科学省の試験のことを知り、受かって今まで日本で勉強をしている。今思うと、人口が1億2718万人で国内総生産が世界3番の国で生活し、自分は少しは成長しているだろうと思っている。日本で生活した上で、勉強だけではなく日本人の性格から自分なりに学ぶところを得ている。今からの人生も日本と繋がって行って欲しいなと思う。

 
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