異文化の友達。幸いに、私は文化や人種が差別されない環境で育ちました。母方の祖母の家族はスペインからドイツに渡ってきて、幼年期には東ヨーロッパ出身の友人と仲良く過ごしました。彼女はドイツ語が非常に上手で、ドイツの文化にも慣れていたので、一瞬も外国人だと考えたことがありませんでした。その当時、国籍や異文化というものについての理解度が全くなかったです。しかし、小学校5 年生の時に、人によっては外国人に対して好感を持っていないことに初めて気づきました。私のクラスの全員は約30名で、その中にはトルコ人もいました。ある日、私のクラスメートがそのトルコ人に「トルコ人がこの学校に入学することができたっけ?」と言いながら、そのトルコ人の学力を見下しました。私はそのクラスメートの発言に不愉快な気持ちを感じ、トルコ人もドイツ人と同じ学習環境で教わる権利があると考えました。人によって外国人に対して好感を持たないということを感じましたが、この様なことに構わず、私は外国籍を持っている友達との友情を大切にしました。
しかし、外国人がある国の文化及び生活になじむことの大変さはその当時はよくわかりませんでした。高校卒業後、私は一年間アメリカに滞在しました。ブラジル、スウェーデン、スロバキア、豪州などの多様な国籍を持つ友達との円滑な意思疎通のために、英語を常に使いました。この様な過程を通じて、異文化に対する理解度を上げることができ、あらゆる面でドイツと異なるアメリカのそれに適応できるようになりました。それから私は異文化交流に関心を持つようになりました。大学での研究及び京都とニュージーランドでの海外経験のおかげで、多くの異文化の人々と友達になれました。知らない文化や宗教を学ぶと人々は「外国人」を尊敬できるようになると考えます。私は友達とそんなことを話し、そして友達は他の友達や家族に「その文化は面白い。調べてみよう」と言って、その友達や家族も興味を持つようになるといいと思います。少しずつ、人の見識が改められて、移民や難民を受け入れられるようになるかもしれないです。
現在私は、大学院生として多くの異文化の人々が在籍している早稲田大学の国際教養学部で勉強に励んでいます。私の学部は言葉で表現できないほどの異文化の多様性に恵まれています。授業後の帰り道で乗るエレベーターにはドイツ、スイスなどの多国籍の人々が乗っている一方、自分の国籍と両親の国籍が同様ではない友達もいます。例えば、両親の出身はベトナムで、育ちはドイツである友達と両親の出身はレバノンで育ちはスイスである友達です。彼らの見た目はヨーロッパ人ではありません。見た目と言葉のギャップが感じられる場面も多く、この様なバックグラウンドを知らない人にとっては衝撃的で大変紛らわしいかもしれません。私はダイバーシティがあふれる環境で異文化の友達との親睦が深められ、学習できることに幸福を感じます。私は他の異文化から来た人々の友達になり、彼らと一緒に世界の問題について話したいです。色々な国際交流のイベントに参加し、友達の祖国に行きたいです。この幸福は双日国際交流財団のおかげであり、財団に大変感謝しています。 |