小さい頃から中国の古典文学にひきつけられていた僕は、大学に入った時、いささか迷いもなく、古典文学を専門として選んだ。そして驚くことに、大学の四年間、よく違う先生から同じことを聞いた。それは「日本漢学は恐るべきものだ」とのことであった。今、振り返って考えると、僕の日本留学の動機はその感嘆の言葉に芽生えさせられたかもしれない。
古典文学の分野に入ったとはいえ、作品を読んでいくうち、いつの間に内容だけでなく、その内容を載せて伝えてくれた媒体としての本そのものにも興味を持つようになった。古代の人々が手にしていた書物と、現在我々が読んでいるものとは同じものなのか。古い時代の作品は如何なる経緯を経て現在まで伝わって来たのか、その中に異同は生じていなかったのか。かつての書物は今何処にあってどういうふうに保存されているのか。これらの疑問が常に頭に浮かび上がっている。その答えを見つけるために、ようやく僕は書誌学の道を歩むと決意した。
書誌学、英語ではbibliographyと言う。世の中にあまり知られていないが、それは書物を物理的対象として、装幀や印刷技術などの視点からその形態や特徴を研究し、さらにその上で具体的に一書の成り立ちを考察する学問である。中国は長い歴史を持つ一方、戦争などによる動乱期も多かった。乱世の中、真っ先に災いにあうのは脆い書物だと言えるのであろう。そのために、散逸して現在に伝わっていない古い典籍は数え切れないほど存在していた。幸いにも、東海の向こうに日本という国があって、そこには大陸で既になくなった貴重な文献は沢山残されている。一つの例を挙げよう。『文選集注』という書物があって、それは梁(502-557)の昭明太子が編纂した当時までの文学作品の選集に、さらに唐の時代の文人たちが綿密な注釈を付け加えたものである。『文選』およびその注釈は早くも奈良時代までに日本に伝わって来て、作文のバイブルとして貴族の必読書となっていて、『万葉集』や『日本書紀』などにも影響を与えている。中国では、現存する最も古い『文選集注』は南宋(1127-1279)初期の彫版印刷による出版物であって、それに対して日本には唐代(618-907)に抄写されたとされる巻物は残っている。時代が早いだけでなく、日本所蔵の唐抄本には、大陸でつとに失われた学者の注釈も含まれている。しかし、この大変貴重な『文選集注』を発見し、国宝指定するにまで助言したのは中国の学者であった。1908 年、中国初の憲法大綱の編纂に当たって、参考を求めるために日本に現地調査しに来た法学者・蔵書家の董康が、稱名寺で残存の『文選集注』三十二巻を見つけた。当書の内容の貴重さに気づいた董康は内藤湖南を通して、国宝に入れるべきと、日本政府に進言し、やがて翌年の1909年に指定が叶った。
『文選集注』のような日中両国に於ける書物流伝の例はいくらでもあげられる。書物の流通はまさに文化交流の具体化だと思い込み、僕は日本に渡ってきて書物探訪の道を歩み始めた。古い書物を手にするたびに、その背後にある長い歴史と国境を超え典籍を守ってくれた様々な人物の姿が見えてくる。日中両国がいろんなことで揉めている今日こそ、昔の人々の切磋琢磨の精神に顧みなければならないと、私は常にそう思っている。 |