「外国人」という言葉に違和感を覚えていた時期があった。私の母国語はドイツ語だが、母語は日本語で育ったため、自分を日本人だと思い込んでいた。その認識が事実と違うと、はっきり思い知らされる典型例が関西空港の入国審査だった。日本人の母は、パスポートを提示し、数秒で入国許可が下りる。片や私は、「FOREIGNER」の列に並び、指紋や顔写真を提供し、審査に数分要する。入国審査官は普段英語で会話するので、私が流暢な日本語で話しかけると驚かれる。その度に、日本のルーツを持っていても、「ソトの人」と分けられていることに疑問を持った。
その一方で、母国ドイツでは、幼少期に東洋人を冷やかす言葉「シンシャンション」を経験し、「ウチ(ドイツ)の人なのにウチでない」扱いを受けた。実家では母が主な話し相手で、和食屋や日本のテレビ番組に囲まれながら生活していたため、私にはドイツ人にとっての「当たり前」が欠如していた。例えば、夕飯にお米を食べることが習慣化していた私にとって、火を通さず提供が簡単な黒パン、ソーセージやレバーペーストで代表されるkaltes Essen(冷たい食事)の食文化は驚きだった。似たような例を多く経験し、興味深いと感じたと同時に、積み重ねるうちに「私は他のドイツ人と違う」という感覚が強まった。
その結果、自分を日本人・ドイツ人だと外見的・内面的に認識できなくなっていた。所謂アイデンティティクライシスに悩まされていた私に、立ち直るきっかけを与えてくれたのは、同じ境遇を経験した滝川クリステルさんだった。あるテレビ出演で、滝川クリステルさんは自身が純粋なフランス人・純粋な日本人でないハーフという存在に嫌悪感を抱いていた過去を語った。転機になったのは、ダブルという言葉だった。「ハーフ、1/2+1/2=1」という半分欠落しているネガティブな印象から、「ダブル、1+1=2」というポジティブな表現に変えることで、アイデンティティの軸を形成でき、自信に繋がっていった。彼女の体験談は私の琴線に触れた。周りの人が「ハーフ」という言葉に対して持っている「半分」という先入観や、「足りない」というニュアンスを払拭するのが「ダブル」なのだ。これを機に、「自分のアイデンティティはどこにあるのか」という問いには、「ドイツと日本の両方」と答えることで自信に繋がった。
考えだけではなく、行動でも変化があった。2013年9月8日に開催された2020年オリンピックの開催地を決定するIOC総会で、滝川クリステルさんの「おもてなしプレゼンテーション」をテレビで見た。他国に日本の魅力を全力で伝える姿に感化され、同様な活動を日独関係で行う意思が自分の中で芽生えた。その一環として行った活動の中で、多くの人に影響を与えたと感じたのは、ドイツで日本の劇を公演したことである。所謂クールジャパンで認知度が高いアニメやゲームとは一味違う日本の戯曲が、ドイツ人にどう評価されるのか興味があったため、プロジェクトに参加した。作品は清水邦夫の『楽屋』という、4人の舞台女優の報われない人生が繰り広げられる、深みのある内容だった。私はドイツ語翻訳を担当し、作品そのものの素晴らしさを伝えたい一心で台本翻訳に臨んだ。結果として、当初見込んでいた50名程度の観客は、150人と3倍以上までに増えた。なによりも喜びだったのは、ドイツ人の観客に翻訳を高く評価してもらえたことだった。好評により、二回目の公演が決定し、違う日本演劇にも挑戦してほしいというありがたい言葉をいただいた。
上記のような活動は、日独関係促進を考えると小さいことなのかもしれない。しかし、その積み重ねが大きい目標を達成する近道だとしたら、自分の役割はそれなりにあると感じている。今後も、日本・ドイツのダブルというルーツを活かし、両国の交流に貢献していきたい。 |