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海を渡った文化の受容
中国出身/ 2011年5月来日
一橋大学大学院 経営管理研究科 博士後期課程3年在学中
趣味:漫画、映画鑑賞、アコーディオン
将来の夢:一人前の研究者になること
研究テーマ:IPOにおける利益マネジメントに関する実証研究
 
 

昨年12月、中国中央テレビ局(CCTV)で、中国の博物館に保存されている貴重な文化財を紹介する番組「国家宝藏」の放送が始まった。9軒の博物館で保管されている貴重な文化財27点が紹介され、古代の職人の知恵、その背後にある物語・エピソードなどに見る人は驚嘆させられ、ネット上で一躍話題となっていた。この人気番組をきっかけにして、今年に入ってから、私の日本博物館・美術館訪問の旅が始まった。おかげで、身をもって日本経済のめざましい成長および文化の新展開を感じてしまった。これから見学した感想を述べてみたい。

古来日本人にとって中国は文化文明の先進地であこがれの場所だった。漢字も仏教も美術や工芸に関しても、中国をお手本にして学んできた歴史がある。大陸からの先進技術、儒教の古代中国思想に基づいて、壮麗な寺院や宮殿、祭祀のための施設などが建築された。また、万葉仮名を使った万葉集のように、受容した文化を変容させた日本独自の文化も生み出した。

工芸の分野がその良い例である。隋唐時代から、書画・楽器・陶磁器など種々の工芸品が中国から日本に舶来されている。その中で、日本に大きく影響を与えたものが陶磁器である。宋の時代、日本は中国に専門の人を派遣して陶磁器の技術を勉強させた。中国の青花磁器を模倣した有田磁器、五彩の影響がうかがえる九谷や、宜興の茶器と類似する常滑焼など、容易に列挙する事ができる。一方で、中国から学んだ工芸技術の中で、ある部分が中国と同じレベルに、ある部分が中国より高いレベルになった。刀、剣と染物の技術などが挙げられる。例えば、日本職人が金泥画漆法も発明し、その技術があまりにもすばらしいので、明の時代には有名な技術者楊損が日本に派遣され、この技術を修得するように命じられた。また、江戸初期に日本の染物工芸が高いレベルに達し、色も変らないので中国の商人は白い布を長崎に運んで染めてもらって、それから中国の国内に売りさばいたという逸話もある。中日両国間に於ける文化関係が単なる一方的文化の受容ではなく、十世紀以降日本からも中国に与えるものがあり、真の意味での「文化の交流」が既に始まった。かかる相互依存の関係はこの後永く持続して、現在に至る。

外国文化である中国文化の受容と、融合・進化の過程を経て、中国文化がある意味で「日本らしさ」を生み出した。これこそ日本文化の強さと魅力である。日本文化の強さは、いかに高度な外来文化が浸透しても、日本文化がその原型を壊すことなく、多様な文化を調和して独自な文化ベースに吸収させるようにして受け入れていくところにある。こうした包容力と創造力のある「日本らしい」価値観と世界観こそが私にとっては非常に魅力的である。

日本と中国の関係は古来非常に密接で、しばしば「一衣帯水」と形容された。日中の間は古代から近代にかけて大きな留学ブームが二回あり、中日の文化交流史上に輝かしい一頁が残されてきた。今年の話題作『空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎』で紹介されたように、唐代にその絶頂期を迎えた長安では、空海や阿倍仲麻呂が、日本を代表するエリートである遣唐使として留学し、中国から多くを学び、日本に伝えた。一方、明治維新以降の日本は近代化を成功させて、世界の経済大国の列に入り、アジア諸国のモデルになっている。そして中国政府は日本へ優秀な留学生を派遣して、日本の近代化の経験と西洋近代化を学ばせた。

今現在、日中交流を代表するのは日本企業の対中進出と日本を訪問する中国人旅行客の急増である。両国文化交流の中堅使者はエリート層の精鋭から中間層の庶民へと変化した。新たな時代の下で、新たな主役は時代を超える文化の力で日中交流の叙事詩をいかに描いていくであろうか。私は新時代の目撃者としてその未来を期待している。

 
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