古書好きな人間として、一つの質問をよく聞かれる。それは「古本は汚くないか」というのである。
確かに、古本には埃まみれで色のあせたボロボロなものが多い。和本の場合、虫食いが酷くて虫の残骸や糞までが挟んである凄まじい状況もある。一般の人に「汚い」というイメージを与えるというのは分からなくもない。
しかし、意外なことに、愛書家の中に潔癖性が強く、汚本は絶対に嫌いだと思っている人が多い。古本の価値を決める要因の一つとして「保存状態」は非常に重視されている。情報時代の今日に至っても、本屋の不定期に発行する販売目録は相変わらず古書を購入する際に最も主要な道である。親切な目録には、上・中・下か美・並・汚れかという文字で保存の程度を示してあるが、これもそのまま信用できない場合が多い。聞くところによると、手ずれで汚れたのや、四角や背表紙の上下の疲れなどの「上・中・下」で反映できない細かいところまでが気になっていて、なるべく目録で本を買わないという強い潔癖症の人も少なくないらしい。
私にも本に対する潔癖は多少あるが、実用書や参考書などはやむを得ず改装してもよいが、装幀や印刷自体が美しくて芸術性の高い本はできれば綺麗な状態で買いたいと思っている。しかし、私は必ずしも汚本嫌いは美装本や豪華本のみを喜ぶのではない。また、古書の時代のさびを帯びていることを嫌うのでは勿論ない。
ただ愛をもって繙(ひもと)かれ保存されていなかった書物を自分の書棚に加えることは忍びない。乱暴に扱われて汚れて傷ついた本を手にすることを嫌うのである。
愛書家は多少とも汚れ本を嫌う潔癖症を持っているらしい。私の潔癖症は元装幀が汚損なく保存されているという他に、蔵書印や署名や書き込みなども常に気にしているのである。この三つのものは、それが著名な学者や文人の手で自ら加えられたものであるならば、収蔵に値するものとなると思うが、まずなければよかったのにと思わせるものの方が多い。この中でも、書き込みが一番見苦しい。次は署名、蔵書印は我慢できないこともない。下手な字で見返しに購入日付や姓名を書入れたもの、本文の欄外にくだらない感想や一般常識などを書き込んだものは、消し難い印のように書物を汚しているように思わなければならない。蔵書印はそれほどでないにしても、できの良いものが適当な位置に押されてあるのは少ないので、やはりやめてほしい。
書痴のわがままな潔癖話が長くなりそうで申し訳無いが、蔵書というのは、何時かは人の手に渡るものであると考えれば、これを汚さないのは読書人の義務であると私は思っているのである。
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