私は幼い頃から父の影響で様々な国へ旅行する機会が多かった。それらの国々の中でも日本は、都市の大きさや綺麗な街並み、日本人の親切さが印象深く、その旅行で日本に対する憧れを持つようになった。その憧れと、韓国が様々な日本の政策をベンチマークしてそれらを数年後に受け入れてきたことから、日本の現在は韓国の未来と緊密な関係があり、日本の現在を学ぶことで韓国の未来を予測できると考え、日本に留学してきた。
しかし、こういった漠然とした憧れと甘い考えから始まった日本での留学生活が決して坦々たる大道のみを歩んだわけではなかった。頭で理解していた日本と実際に肌で感じた日本は違っており、日本人とのコミュニケーションが円滑に出来なかった。その主な要因は、母国と日本との文化的違いを受け入れなかったことである。当時、それについては認識していたが、なかなか乗り越えることができなかった。更に、留学に失敗したと考え、自責の念に駆られていた。私はこのような悩みを家族に相談したところ、兄が住んでいるカナダに行って多様な人種が一つの国でどう生きているのかを学ぶことを強く勧められた。私はその助言を受け入れ、1年生の前期が終わってから、1年間カナダのカルガリーに留学をした。そこで私は、多様な人種の人々と出会い、様々な文化と価値観に触れることができた。その過程で、相手の文化による慣習からジェスチャーに至るまで学ぶことができ、自文化の価値観で判断してすぐ行動したり喋ったりするより、その前に相手の文化の価値観に添って判断してみることが可能になった。また、カルガリー大学で多様な人種の人々とグループワークしながら、特定の人だけではなく参加する全ての人々が楽しめるフェスティバルを企画したことでそういった多文化への配慮心が一層深まったと考える。このような一連の経験から、私は日本での留学生活を省みることになり、また日本留学に挑戦したいと思った。
日本に帰ってからはカナダの留学経験を活かし、日本人との交流に積極的に参加し、日本人のコミュニティーの一員になるために力を尽くした。その結果、コミュニティーの「調和」のために努力する日本人の姿、またそれから芽生えるコミュニティーの構成員間の「信頼」が見えてきた。他にも、全ての構成員が一つの目標を共有し、そこから自分の役割を探し尽力する姿も印象深かった。このような貴重な経験から、私は日本文化への理解が少しは深まったと思った。しかし、日本人との交流だけに集中したわけではない。カナダ留学から学んだ英語を用いて外国人たちがよく日本に適応できるように手伝った。また、母国の韓国から見学してくる学生たちに日本の紹介をする役割も担った。
全ての留学生がそうであろうが、国際交流への関心は留学生活とは離せないものだと考える。しかし、関心があると言って終わりではない。相手国の文化への理解とその文化を配慮しながらコミュニケーションをとる能力が必要である。私はこれらのことに気付くまで多くの時間がかかったが、これから日本に留学してくる学生たちや海外のビジネスマンなどに日本文化への理解を助ける人がいれば、理解までの時間を節約できるのは勿論、より建設的な関係を築けると考える。私は社会人になってからも、外国人の日本文化への理解を助け、また逆に日本人の異文化への理解を助ける、日本と世界をつなぐ架橋の役割を果たしていきたい。
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