今回お話ししたいのは私自身いままで歩んできた道を振り返って見てみたものです。その時の体験や心境を言語で伝えるのは難しいのですが、適切な表現を使うように努力します。それでは、ずっと昔からお話ししましょう。
私はとても幸運で、十歳の頃に初めて海外に行って違う世界を見ることができました。二十時間以上も飛行機に乗り、到着したのは黄色の砂で充満された未知な世界でした。そこにいる住民の生きる世界は自分と全く違っていて、あの時の私にはとても不思議で楽しい体験でした。この一件で、私は世界を違う風に見始めるようになりました。成年後にインターンシップ生として、あの世界を再訪するときに、忘れかけていた十歳の記憶が蘇り、成熟した目であの世界を味わいました。彼らの善意と友好は変わらず、私もその気持ちを言葉で応えられるようになっていました。インターンシップ活動の中で、設備の修理作業で出張していた日本人のエンジニアに会う機会がありました。その時はまだ日本について詳しく知りませんでしたが、仕事に対する彼らの知識や能力に驚きました。今でも不思議と思っていますが、これが日本との初めての接点でした。
初めて日本語を学ぼうとしたのは、日本の番組に描かれた世界を見に行きたいと思ったからでした。大学を卒業する一年前に、ついに日本への旅行が実現しました。友人と歩き回った日本の大都会の夜の商店街は賑やかで、どのお店に入っても元気な挨拶が聞こえてきました。仕事を終えて友人とのお喋りや、焼き鳥でビールを飲んでいる客たちなどの光景で、日本を実感しました。昼間の大学でも、木陰で本を読んでいたり、楽しく部活動をする学生を見て、この中に自分を置いてもっと近い場所から日本を感じたいと思いました。
日本への留学に向けて動き出したのは旅のあとでした。親や友人とこの件について相談をして、日本での生活への憧れだけでは有意義な時間を送れないと理解しました。そのため、やりたい研究をよく考えて、大学の先生の研究テーマを拝見して、必要な専門知識を学びました。そして、いまの研究室の先生とメールでやり取りをし、研究方針を確定して承諾を得た時の喜びは今でもはっきりと覚えています。
北大に来て最初の頃には、研究室に様々なイベントがあることに驚きました。忘年会、旅行会などのイベントで皆さんと楽しんで会話する機会がたくさんあります。研究室の皆さんは日本の色々な所から大学に来ていて、彼らの故郷の特別な方言や文化を紹介してくれました。私だけではなく、日本人学生にも興味のある話ばかりでした。研究室での日本語プレゼンテーションもたくさんあります。発表をする前に、実験結果を分かりやすいように、論理構成と表現をよく考えています。このような研究生活を通じて学会で成果を発表し、研究者からの質問やコメントを客観的に受けとめ、研究の位置付けの正しさなどについて考え続けて研究を良い方向に推進するようになりました。
今年、私は発達脳科学専攻を副専攻とし、もっと人と会いました。彼らは世界中からまたは違う専攻から来ていて、彼らの話はまた楽しく斬新な物語であって、私も自分の研究をシェアすることができました。いろんな人といろんな交流ができるおかげで、日本での生活をスムーズに送り、様々な角度から日本を楽しめていると私はいつも思っています。
過去の全ては今この瞬間を築いています。最後の一年を有意義に過ごせるように頑張っていきます。
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