私の家族はイラン・フランス・カナダ、そして日本の四つの異なる文化を背景としています。イラン出身の私の祖父母は、1953年に日本に引っ越してきました。当時の二人には、日本は遥か遠いところであり、日本についての知識も多くありませんでしたが、幼い叔父と父を連れて、母国を去ることになりました。日本で住み始めた祖父母は、苦労することもありましたが、周りの人々とも温かい絆ができ、日本で家庭を築くことができました。イラン革命の後、イランに帰ることができなくなり、日本は私の家族のもう一つの「故郷」のような存在になりました。父は、フランスとイランのハーフである私の母と結婚し、二人は日本での滞在を経て、いずれはカナダへと移り、そこで私が生まれました。しかし、日本との繋がりは途絶えることはありませんでした。私が十代を日本とカナダの両国で過ごしました。
このように四つの文化の接点で立つ私にとって、自分の「居場所」を見極めることを困難に感じ、悩むこともしばしばあります。しかしながら、近頃は、この悩ましいことを一つの「恩恵」として捉えるようにもなりました。異なる文化の接点で生きていくからこそ、祖父母の信念であった、世界は一つの母国であることを実感できています。表面的な文化の違いがあるときでも、お互いを理解し合いたい、そしてお互いを思いやる、敬う気持ちで接すると、文化のいわゆる「壁」を乗り越え、心を通わせることができます。
そして、異なる文化でも、共通の意識に基づいていることがあると気づかされています。その一例としては、自分の身近な日本とイランの文化が挙げられます。どちらの文化にも、地位や年齢の高い人や初対面の人などを敬う文化、敬語や謙譲語を用いる文化、そして「遠慮」の文化まであります。これは単に一例に過ぎませんが、目を向けてみれば、異なる文化の間でも、多くの共通点が存在しています。そして、共通点も異なる点もあるからこそ、貴重な多様性が生まれます。花園では、異なる種類や色の花が咲けば咲くほど、花園が魅力的であると同様に、多様性は人間に豊さを与えるものだと確信しています。
このような意識を、世の中で直面している課題の解決にも活かせることができるのではないかと思います。現在は、私は人工知能の導入の社会的・倫理的側面に関係する研究を行っていますが、これから人工知能の導入で生じる課題の解決に向けても、国際協力が不可欠である、と専門家の声が上がっています。人工知能に関する問題とは限らず、コロナ禍や環境問題でも、真なる国際協力に基づいた対応の必要性が顕著になっています。
国際協力の第一歩としては、個人個人としての、国境を越えた、人間の根本的な一体性の認識が求められます。日本での留学のおかげで、この一体性を日々実感できています。日本の文化に対する理解が深まりながらも、留学生との関わりの中でも、自分の視野がさらに広がります。双日国際交流財団の奨学金のおかげで、このような貴重な経験に満ちた留学生活を継続させることができ、感謝の気持ちでいっぱいです。
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