博士課程の終わりに近づき、留学生の私はコロナ禍で不安を抱えているが、アットホームでも出来るストレスを軽減させる趣味に欠くことはなかった。そのひとつはジャズ鑑賞だ。音楽はもちろんのこと、ジャズにも大きな意味では親しんできたが、最近新しい観点と理解を得て、その音楽をほとんど新鮮な状態で聴くことができた。それはどう考えても日本のおかげだが、今にして思えば、私にとってジャズ鑑賞とは常に日本と関連した趣味だった。
ジャズと私(そして日本)の関係は、10年前、岡山大学での短期留学から始まった。音楽をやりたいならジャズ研究サークルはどうかと日本の友人に提案され、ジャズをプレーしたことがなかったにも関わらずとりあえず参加することにした。他のジャンルと異なるジャズは難しかったが、経験のない私は一生懸命練習をし、暇な時には少しずつジャズを聴き、その音楽の感覚に馴染めるようになった。知らないことだらけのジャズの世界は、普段聴いていたロックと大きく異なり、新鮮で、果てしなく刺激的だった。プログラムはあっという間に終わったが、グアムへ帰ってからも、ジャズを聴くといつもその時を思い出す。
しかしそれから、特に理由はないが、ジャズを聴くことがなくなった。そこからそれ程の年月が経ったわけではなかったが、再び真剣にジャズを聴くようになったのは、やはり日本に、今度は名古屋に来てからだった。レコードストアへ行く度に、どこでもジャズが爆音で流れていた。そこでは、ジャズバーやジャズ喫茶など、ジャズ専用のライブハウスとよく遭遇した。それが、ジャズを再検討しようとするきっかけとなった。次第に自分のレコード棚にブルーノートのレコードが増え、ジャズを学ぶのに相応しい場、日本に来てよかったと考えるようになったのだ。だがその一方で、音楽以外のことが気になり始めた。それは、ジャズの「地位」である。他のジャンルより高い位置にあるように見えるし、理解しない者に対するジャズ通の高慢さなどは逆に接したくなくなる時もあった。時折ジャズが好きという理由で聴いているのではない人もいるのではないかということを煩わしいと感じた。
音楽を聴く時間が増えたコロナ禍が、自分にとってジャズを再検討するターニングポイントだった。今回は音楽をただ聴くのではなく、そこから欠けていた「歴史」の点について主に勉強した。実は今までジャズを音楽としてのみ考えており、文化としての側面は全く考慮していなかったのだ。アメリカ(そして世界)の歴史と共に展開したジャズは以前より興味深く、より完全な状態で鑑賞できるようになった。何故このようなレコードが重要なのか、どうしてジャズが数十年の間に音楽として劇的に変化したのか、何故コルトレーンが大事なのかということ等をよく理解できるようになった。レコード棚からまたあの名盤を取り出すと、新鮮に聴こえるようになった。
そして、この歴史や文化と共に、今住んでいる日本におけるジャズにも思いを寄せ始めた。日本とジャズの特殊な歴史や文化だけでなく、「和ジャズ」=日本人のジャズプレーヤーもお気に入りになった。日本にいるからこそ、日本のジャズと出会うことができた。世界中の人が最近注目している日本のジャズと出会えたのも、今、日本で留学しているからだ。
とはいえ、私はまだジャズのエキスパートではない。知らないことばかりで、聴いたこともないアルバムやミュージシャンを毎日のように発見している。それはひとえに日本のおかげなのだ。日本にさえいれば、ジャズの魅力を永遠に発見し続けることができるだろう。
僕の好きなアルバム
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