日本に来たのは2022年10月のことであった。学部の時は日本語を専門し、もともと大学2年生(2020年)の時、北海道大学へ交換留学する予定だったが、コロナで中止を余儀なくされた。その時の願いを叶えるために、また、自分がどこまで異文化間コミュニケーションができるのか、自分はどんな人になりたいか、といった問題の答えを探るために、去年学部を卒業したら、私は学部研究生として日本にやってきたのである。
日本に来て、最初分からないことが多くて、大変苦労していたのである。幸いなことに、学生寮で日本人のルームメイトと仲良くなり、いろいろと助けてもらった。春休みに、私の一時帰国をきっかけに、その友人を台湾へと誘ったのである。二人とも楽しんでいたが、友人は言語が通じないので、また異文化について知らないことが多いため、いろいろと困っていた。特に途中、友人の体調が崩れ、いかに外国で医療を受けるのか、二人とも苦しんでいた。その様子を見て、私は自分が初めて日本に来た時に感じた不安や寂しさを思い出した。しかしながら、今回私は「助けてもらう」側から「他人を助ける」側になった。このような立場転換は、私をいろいろと考えさせたのである。
未知なことに対して恐怖心を持つのは当たり前のことだと思う。一人で外国で暮らすことが、何よりも怖いのは、やはり他国について何も知らないことである。それは言語が通じないというような問題にとどまらず、他には例えば口座の作り方、またバスの乗り方から、学食の利用方法まで、一見細かいけれど、実際に私たちの日常生活に深く関わっていて、国によって違ってくるようなことでもそうである。日本に来る前に、私にとっても想像しにくかったが、日本に来たら、国と国は違うから、このようなことで不安に思う人はやはりいるんだと痛感した。そこから、自分も台湾と日本における「外国人」の役に立ちたいと思うようになった。
とはいえ、私が日本に来てから、半年間しかたたないので、今の私にできるのは、あくまでも通訳や案内ぐらいのことしかない。確かに、現在AIが盛んになる一方、翻訳と通訳が必要ではなくなるというような声が挙げられている。それでも、自分にできることがまだたくさんあると考えている。言うまでもなく、今の段階で、AIがまだ不安定で、通訳よりも、AIは翻訳の方が優れている。また、ちゃんと人の考え方を理解して訳すことは、少なくとも現在のAIにはまだできないと思う。多国の言語ができる人として、まだ異文化コミュニケーションのために力を添えることができると思う。一方、異文化コミュニケーションにおける問題というと、それは外国語ができるかどうかの問題に限らず、外国人向けのガイダンスがまだ完備していないというような問題が存在していると考えている。例えば前述した医療において、いかに外国の人々でもスムーズに他国で医療を受けられるかというような問題は、日本でも、台湾でも、まだ見逃されている恐れがある。
言葉には力があると信じている。世界は巨大なバベルの塔で、人々の言語が違うから、互いへの理解が築けない。そして、そのひびを補うために、訳者が存在しているわけだと思う。自分は現在一橋大学言語社会研究科で家族写真における表象について研究を進めているが、将来、言語社会研究科で身につけた知識と語学力、そして自分の感性と、外国での生活の経験を生かし、医療のようなまだ多く注目されないエリアで、多文化を理解しつつ、台湾、日本、中国の間における架け橋を築き、他人の役に立ちたい。この夢に向けて頑張りたい!
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