私は先月の頭に、第一志望である某日系大手から内定をもらい就職活動(以下、就活)を終わりました。ありがたいことに、昨年度に続き本年度もエッセイのチャンスをいただきましたので、今回は就活を始めた去年の夏から先月までの話をしようと思います。
残念ながら私の大学生活の半分は、コロナ禍により母国で終わりました。しかしながらその2年のあいだは、塾講師をつとめていながら学業との両立で多忙な日々ではあったものの、いわゆる「ガクチカ(学生時代に一番力を入れたことを指す就活用語)」となり就活の面接では無双であったため、有意義なものと捉えています。1年生のときは講師として担当の生徒とその親ととことん向き合う生活を、2年次には塾の長期プロジェクトのチームリーダーに抜擢され授業はもちろんのことチームを率いるリーダーとしての日々でした。その経験で体得した「臨機応変に考え動く力」「周りの巻き込み力」を自分の経済活動に活かしたい、かつ大好きな「日本語」を使いたいという気持ちが強まり、日本での就職を目指すようになります。
ところがあまりにも急に決まった3年春学期からの日本生活を目前に控え、一番悩みでもあったのが、その「就活」です。同じ大学に所属する外国人学生は、文理問わずみな大学院に進んでいたため、周りから得られる情報が限られている状況と、せっかく留学までさせてもらっているからいいところに就職して親孝行しないとという重圧が相まって最初は全く進みませんでした。次第に日本人の友達ができ、周りの行動を分析し最低限のことをし動き出したのが私の「就活の始まり」でした。生まれてから20年以上日本語を使ってきた日本人学生と日本語しか通用しない日本の就活で自分の市場価値を証明しながら闘うことに最初は不満を感じていました。しかし私は生まれながらにして「Resilience」をもっています。つまり限られた資源や条件のなかでも屈せず前に向かって突き進むことが得意な私は、「日本に来たばかりの外国人の女の子」という明らかに不利な立場をうまく利用します。面接の場面でもこの「Resilience」をアピールし自分の魅せ方を知りました。
といえども、必ずしもうまく行ったわけではありません。私は2回も、就活を休んでいます。本選考直前の冬インターンのシーズンと、本選考の真っ只中である5月です。当日はこの日々が、一生終わらない気がしました。とくに、週1ペースで最終面接で落とされた大学4年の4月には「これが日本における外国人の限界」「誰にも肯定されない」といったネガティブな思考に陥るばかりでした。そういう日々のなか、ある日、限りのある人生で、自分のことを肯定できるのは自分しかいない、自分のことは自分で肯定しないと誰からも受け入れてもらえないと、心を新たに、もう一度がんばることを決心しました。その決意と同時に6月の頭に行われた第一志望の面接を無事通過、内定を勝ち取れました。これから、社会人になっても、誰かと結婚をしても、私たちは、何某かの挫折に苦しめられることも、きっとあるでしょう。それでも地球はまわり続けるし、人には必ず寿命があります。つまり、私が伝えたいことは、「明日のわたし」のために生きるのでなく、「今日のわたし」のために生きよう、ということです。「今日のわたし」と、その命尽きるまで、とことん仲良くしてみてください。ただそれだけです。
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