最近日本での生活についてよく考えているのは、「共同生活」ということである。「なぜ共同生活に興味があるのか、日本にはそういう住み方がなかなかない」と言われるだろう。確かに、家族以外一つの家の中で多数の人が住んでいるという住み方は広がっていないと思う。それに対して、私の出身地のウェールズでは友達や知らない人とさえ一緒に住むことは意外と多い。日本では、家族、夫婦、あるいは単身という住み方が一般的である。
ところが、昔から共同生活を守ってやまない場所は日本にもある。今年の春初めて京都に旅行に行って、友達のおすすめがきっかけで京都大学の「吉田寮」という大学の寮を訪ねた。1913年に建設された吉田寮は、日本全国最古の現在運営している学生寮である。今でも学生が住んでいるので中に入らせてもらえなかったが、外から素敵な木造建築、学生に作られたポスター、前の社会運動に使用した散らかしっぱなしにしたプラカード、などが見られて雰囲気を吸い込むことができて満足であった。そこで興味が湧いた。今住んでいる札幌に帰ってきたら、2017年の平林克己、宮西建礼、岡田裕子著「吉田寮」という写真集を購入し、寮の内装の見た目、自治体制度、居住者の声、歴史など、さらに色々学べた。吉田寮は普通の大学寮と異なり、学生自身で運営している「自治寮」である。吉田寮自治会で定期的に寮の居住者が全人集まって、全人平等な声を持ちながら、寮の運営に関する時事を話し合って解決を絞り込む。非常に安い寮費の中の一部は自治会費とされて、それは寮の維持、補修、購入などに分配されている。
居住者は運営に関する自治会に声を寄せるだけではなく、吉田寮の文化的な活動にも参加できる。元の台所にある舞台でライブが行われ、ビデオゲーム、ビリヤードなどのための共有スペースが多数ある。夏は祭りがいっぱい。一年中猫がいっぱい。
このような場所に、このような制度の下で、全ての人が住むべきだと規定するつもりではない。吉田寮は古い。吉田寮は汚い。吉田寮は補修が必要なところも少なくはない。何しろ学生によって運営されているのだ。自治会で行われている直接民主制に、全ての人が賛同するわけではなく、誰かに任せたいと思う人が多いだろう。しかし結局のところ、吉田寮とそのような場所から学べることが多いと思う。
日本では人々はお互いに邪魔しないようにするという文化があることは非常にありがたい。カフェに勉強に行くとして、誰かに話しかけられたり、嫌がらせを受けることなく安心に過ごせるのだ。しかし、その「迷惑をかけないようにする」という考え方を使うのが残念だと思う場面がある。例えば、今私が住んでいるアパートの隣の人のことを知らない。顔さえよく分からない。3年間以上同じ場所にいるのに。迷惑をかけないようにしようという考え方は、知らない人を避けるために言い訳として使われているのかと思ってしまう。
日本での住む場所はあまり共同生活と知らない人と出会うことのために建築されるものではないが、そのような場所で人々のやりとりを増やせばいいのではないかと私は思っている。「アパート」は、仕事が終わるとすぐに戻り、隣人に静かに頭を下げて単なる箱のような個人部屋に隠れるという場所ではなく、人々が交流したり、人間関係を築いたり、やりとりが溢れたり、もしかしたら互いに支え合ったりす
る場所となったら、どんなにいいだろう。
吉田寮正面玄関(2011年12月、ウィキメディアコモンズ)
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