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奨学生エッセイ
 
 
 
生きることの素晴らしさと、諸法無我
エジプト出身/ 2016年3月来日
上智大学大学院 グローバルスタディーズ 修士課程2年在学中
趣味:歌、哲学
将来の夢:大学の教員として研究を続けること
研究テーマ:アニメ映画『君の名は。』に見る、日本仏教の入我我入の概念
 
 

私の今の段階においての人生の課題は、「生きている」という喜びを伝えることだと思っています。そしてそれはそもそも、私が教えられたからこそです。私は、日本で生まれ育ち(小学5年生まで)、エジプトで大学を終え、社会人経験を積みました。日本とエジプト、それぞれのカルチャーに深く関わりながら、アイデンティティはどちらにも所属し切っていないという立場を経験したことが、私のその後の人生を形成したのだと思います。何か、誰か、どこかに所属しきれない人間は、そのどこかを探すか、作ろうとするものです。大抵の場合は前者で、既にある場所や、出来上がった思想に所属することで、アイデンティティを借りようとします。それが、宗教の大きな役割の一つだと思っています。違う国で育たなくても、自分の居場所を見失う人は沢山います。

私たちは、莫大な、時には矛盾している情報量の渦の中で、昨日は真実とされていたはずの概念や基準が(たとえば、科学的な証明など)、朝起きれば違うものになっている、または崩れる時代に生きています。また、アラブの春などの複数の国の政権の変化、大量移住や難民問題も、大規模でのアイデンティティの崩壊問題につながっています。ここ数年の、ナショナリズムのカムバックや、過激な宗教思想が、高いレベルの教育を受けた人の間でも広がりを見せているのは、ここに大きく関係しているのではないかと思います(博士の研究テーマの候補の一つです)。人間社会が大きなレベルでアイデンティティの崩壊を、今までにないスピードで経験している。その喪失から来る莫大な不安。その過激な不安定感に値するレベルの過激なまでの絶対的な固定感を探す。

しかし、私はこの現象をポジティブなものととらえてもよいのではと思っています。なぜなら、この現象は、人間が安定や幸せを見つけるプロセスの大事な一部だからです。仏教では、アイデンティティを我と名付け、我はまるで、創作され続けるアイデンティティであり、その度重なる崩壊によって、独立した物それ自体に我はないという理解。無我に至る、つまりすべてが同じように尊い存在であることを知ります。日本密教は興味深く、修士課程では、日本のアニメを日本の密教思想から分析するというテーマを選んでいます。

2016年に修士課程を始めたころの私と今の私はまったく別物です。研究意欲、興味の対象、人間関係の幅、また、これほどまでに自分は支えられているのだという実感。これは本当に私が日本に来てから、強く感じるようになったことで、自分の日々の生活の充実感が、この事実を意識するだけで、非常に満たされたものになります。日本に来た時私は、細かい経済的なプランもなく来ましたが、その時から、思いがけない形で様々な方々からサポートを受け、今に至ります。このように、自分が常に生かされていることを実感できたというだけでも、大きな達成だと思います。

この度の、御財団のサポートも、“生かされている”という感覚がますます強くなった理由であり、私の感じている感謝の気持ちはますます深まるばかりです。私は博士課程を続けたいと思っているのですが、その意思を表示するための教授との面接でこんな質問を受けました。「貴方は、自分の研究を通して、何を人に伝えたい? 何を教えたい?」と。私は先生に、「生きることの素晴らしさ」と答えました。その素晴らしさは、私個人の我で理解できるものではなく、人との関係を通じて、支えあい、すべては入り組みあっており、独立した我と言うものは存在しえない。すべては繋がっている大きな和であるという尊い教えを、身を以て経験させていただいたことを、大変感謝しております。ありがとうございました。

 
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