ホーム サイトマップ
ホーム 財団案内 財団ニュース 助成案内 よくあるご質問 お問合せ
助成案内
助成事業について
助成実績
助成募集要項
奨学生エッセイ
2019年度
2018年度
2017年度
2016年度
2015年度
2014年度
2013年度
2012年度
2011年度
2010年度
2009年度
2008年度
2007年度
2006年度
 
奨学生エッセイ
 
 
 
日本での留学生活とこれまでの振り返り
中国出身/2013年10月来日
東北大学大学院 環境科学研究科 修士課程2年在学中
趣味:スポーツ、旅行、ピアノ、映画鑑賞
将来の夢:国際機関で働くこと
研究テーマ:殿物減容化を目的とした層状複水酸化物による鉱山廃水処理
 
 

日本語との出会いは中学生の頃でした。母校では第二外国語を勉強できるクラスが設けられており、昔から日本のアニメが好きだったので、志望しました。日本語の授業は週に4回あり、そのうちの一回は日本人の先生が担当しました。外国人の先生は中学生の私にとってとても新鮮で、毎週の授業が楽しみでした。授業では語彙や文法だけでなく、ニュースや番組映像も教材として扱うことが多かったので、日本の様子や日本人の日常生活についても知ることができました。その頃から、私はアニメだけでなく、日本という国に興味を持ち始めました。

留学を決心した以上、勉強のモチベーションもますます高まり、高一の夏に日本語能力試験一級に合格することができました。この経験がさらに大きな自信となり、留学を後押ししてくれました。しかし、不意打ちもその時でした。2011年3月、いつも通りに授業を受けていた私たちに、衝撃的なニュースが伝えられました。授業で見た、家が津波に壊され、瓦礫や車や何もかも流されて街がどんどん崩壊されていったニュース映像はいまだに忘れられません。ですが、私たちの前にもっと現実的な問題が待っています。時はちょうど進路を決める時期で、日本留学、欧米留学、もしくは国内の大学に進学するかを選択しなければなりません。結果、福島原発事故の影響で、例年20名ほどの日本留学志望者は私の学年で13人しかいませんでした。

不安も残しつつ、私たちは来日前のラストスパートをかけて、留学試験対策の日々を過ごしました。2013年10月、いよいよ出発です。初めての目的地は京都にある語言学院でした。そこで大学受験の準備をして半年間を過ごしました。仲間との共同生活だったこと、また、日本語を6年間勉強してきた甲斐もあり、生活する分には困ることがありませんでした。寮から学校への道のりにファミレスや定食屋が数軒あり、スーパーやホームセンターも揃っていたので、日本での生活にすぐに慣れたように感じました。

本当の試練は、大学に入学した後でした。一瞬で、慣れていたと思った日本での生活はがらりと変わりました。それまで一緒に生活してきた仲間と別れて、私は一人で仙台に来ました。当初は、講義の内容をほとんど理解できず、ひたすら板書を写し、家に帰った後は辞書やインターネットを頼りに何とか理解しようと努めました。日本人学生との交流もうまくいかず、学科ガイダンスでたまたま隣に座った同級生数人としか会話することができませんでした。まして、一人暮らしでは高い家賃や光熱費、交通費がかかり、金銭面も考慮しなければならず、悩みやストレスが膨らむ一方で、これが本当に目指していた留学生活なのかと自分に問いかけました。

絶対に違う。故郷を離れてせっかく日本に来たのだから、もっと積極的に、向上心を持って、有意義な留学生活を送らないと!そう決意を新たにしました。それから、徐々に勇気を出して人と接するようになり、日本人の友人も多くできました。また、日本の文化習慣を理解しながら、自ら母国の文化を発信し、数多くの国際交流活動に参加する機会もありました。一昨年から研究室に所属したことで、教員・先輩・同期・後輩との新しい出会いに恵まれ、それぞれの生き方や価値観を見て、やっと留学生活とは何かを理解しました。

当然のことながら、これまでの経験は自分ひとりの力では到底乗り越えることはできなかったと思います。恵まれた環境と周りの人々の優しさに本当に感謝しております。これからも、大学院で知識とスキルを身につけながら、日本の社会をさらに理解し、積極的に交流を深めていきたいと思います。

 
| 次のエッセイ
 
ページのトップへ
   
ご利用条件 個人情報保護について Copyright (c) 2003- Sojitz Foundation. All rights reserved.