私がこれから書くのは経験論で、私が通っていた中学校にしか当てはまらないものかもしれません。また高校に入ってからはこういうことは一切ありませんでした。
私は両親が日本に留学していたため小学2年から中学1年までの間を日本で過ごしました。日本の教育はまるで「遊び」だったけれど、むりやり知識を押し込むのではなく、自然に興味をもたせ、努力する喜び、正しい生き方を教えてくれました。私は日本の生徒の中でも自分で言うのもなんですが、真面目なほうでした。
中学2年のときに父親がマスターコースを修了させたので、帰国しました。
中国は労働力が非常に安いので、大きな都市などでは過剰に学力を重視することがあり、人口も多いので学力の競争率が特に高くて、周りの人は子供を主に学力で評価し、必死で勉強させ、成績への関心が半端ではありませんでした。なので教師も生徒の成績で評価され、生徒の成績をいかなる手段を使おうと上げようと思っていたのでしょう。以下ではこれを踏まえて読んでいただきたいと思います。
中国の中学に編入してまず気づいたのは、生徒の精神年齢の低さです。彼らは勉強が非常にできるのですが、ほとんど自己中心的で、日本の子供に比べると行動が非常に幼稚でした。しかし頭のよさは尋常ではありませんでした。大学の数学の問題が解ける人もいたし、教科書を一度読んだだけで覚えられる人もいました。そしてほとんどの生徒は非常に狡賢しこく、これらはそこでの教育が原因でした。
生活はとてもハードでした。先生は成績の良い学生を「良い学生」と呼び、成績の悪い学生を「悪い学生」と呼びました、当然私は最初の頃は悪い学生でした。教師は、生徒の自由時間をなるべく自分の教科に使わせようと大量の、それでいて意味のない宿題を残しました。中国語の授業にいたっては、先生は生徒に、教師が教える用の教科書を買わせ、それを授業ごとに何度も丸写しさせ、覚えさせることをしていました。友人に、ペンを3本持ち、同時に書く凄腕の人がいました。私は日本で真面目さを教わったので、宿題が終わらないたびに自分を責め、悔し涙を流していました。
中国語のテストでは同じ意味の分析をしても、教師用の教科書と一文字でも違うとバツにされました。真面目な私は一度もしたことはないが、テストまでに覚えられなくて、カンニングをする生徒がたくさんいました。しまいには、高校受験のときに先生は成績の悪い生徒に、分からなかったら隣の解答を写せといっていました。
高校受験で試験があるもの以外は精神的にも、知識的にも勉強させてもらえず、まさしくテストのためだけに生きていました。
当時の友達は、今はまだいいほうで、教育改革前の小学校の時の方が、もっともっと厳しく、睡眠時間は3、4時間が普通だといっていました。
そんな中、私は必死に勉強しました。その結果、2,000人近くいる私の学年で、県で一番の高校に受かったのはたった20人くらいで、その20人の中に日本に6年いて、その間それほど勉強してない、それほど頭も良くない私がいました。私は同級生たちの小学校生活を想像しながら、いつも思います。私の同級生らがあんなに苦労して、あんなに時間をかけて受けてきた教育は、はたして、何の意味があったのだろうかと。
中国の教育は変わっていかなくてはなりません。学校が教えるべきものは知識だけではなく、誠実さ、人を信じること、夢、信念……など、生きていく上で本当に大切な物でなくてはならないと思います。私の夢が叶った時、私の経験をいかし、私の感じたことを訴えていきたいといつも思っています。中国の教育改善に貢献できれば幸いです。 |