私の特別聴講生のプログラムが終わる頃だった。日本へ2010 年11 月末ぐらいに来た私には、日本の生活にまだ慣れていなかった時期であり、ある学会で使用するポスターの準備で忙しい時期が終わったばかりだった。そして、発表の準備が終わったので、学会の開催地である京都でのホテルや新幹線のチケットを取るためにインターネットで探し、特別聴講生関連の必要書類などを作成していた。後に東日本大震災と呼ばれる地震は嵐の前夜のような静かなこの状況に、突然来た。
日本では地震が日常茶飯事であったので、発生した最初はいつも通り少し我慢すれば終わりのものだなという感じだったが、これは、机の引出しが飛び出していることを見てすぐ変わってしまった。その光景はまるで災害映画の一場面のようだった。1時間のような1 分が終わったばかりですぐ外に出た。ビルの中から全員が出て、広い場所に集まった。皆、そんな大きい地震は初めて経験したので精神的に不安だったはずが、意外と冷静だった。しかし、続いている余震で見えない不安な雰囲気は感じられた。
私は宿舎から若干の荷物を取り、緊急状態には避難所になる大学から近い中学校の体育館に泊まることになった。地震があった日の夜は眠れなかった。私にとって、韓国にいる家族に連絡が最優先だった。その時、公衆電話が繋がったから無料で使えるというメールが来た。それで、すぐ電話をかけ、「私は無事だよ」と、心配している親を安心させた。今までで最大規模の地震だったので、韓国では悪いニュースが広まっていた。翌日、東北のツナミや福島の原子力発電所の状況を知った。また、大規模な人命被害や原子力発電所の爆発による憂慮するニュースが伝えられた。両親はできれば早く帰国して欲しいと言ったが、10 日後に京都で開催される学会もあり、3 か月ぐらい日本で頑張った生活も諦めたくなかった。結局、先生と相談し、5 日間の避難所生活を終わらせ、東京の先生のお宅にお世話になり、学会が始まる2 日前京都に行き、学会の発表が終わったら、すぐ帰国することになった。学会の為に必要最低限のものだけ持って東京にまず向かった。残念なことに、航空券の値段がとても高かった。私のような貧乏な留学生にはとても払えない値段だった。無論、航空会社にはいい機会になったかもしれないが、韓国の航空会社だけは韓国留学生のため、良心的な値段の航空券を準備してくれるという期待をした私が甘かった。
それから京都がある関西に向かった。関西の雰囲気は関東と違い、別の国に見えるぐらい平気で逆に驚いた。幸いに学会では、ポスター発表まで終わらせることができた。その後、韓国に戻った。今まで緊張で溜まった疲れを取りながら、日本の状況を見守った。私が日本に戻るかどうかについて、父親は私の選択に任せるという意見だったが、母親は日本留学に反対だった。その時の私の状況は韓国の大学院や筑波大学院、両方とも合格していた。もう学期が始まった韓国の方は日本に行く前の研究室であり、事情を言えば、入学もできた。しかし、3 週間考え抜き、日本行きを選択した。今になって考えてみると理由は、挑戦が好きな私の性格が大きかったと思われる。さらに、勿論、生活の面も日本よりも韓国の方がしやすい。韓国の研究室では、生徒個人の研究よりも、企業と連携したプロジェクトが中心的であるため、アルバイトなどをしなくても生活ができる。しかし、私は一人で挑戦がしたかった。生活面で苦しくても、日本で自分の興味のある研究をとことん、思う存分したかったのだ。結果的に、安定的ではなく挑戦ができる場所を選んだ。
しかし、5 月に再来日してから、1 か月も経たない間に、自転車に乗っていたところ、自動車にはねられるという交通事故にあってしまった。その時、日本は私と運命的に全く合わない国か・・・という後悔もあった。半年も居ない国で大地震や人生の最初の交通事故が起きるとは非常に珍しい経験ではないのか!
しかし、今は楽天的に考えが変わり、このエピソードを逆にレアな経験をした面白い人生になったという事で満足している。また、筑波大学に居て、ここしかできないことや、いろいろな国の人たちと友達になった。今、取り組んでいることは、つくばマラソンやつくばスポーツデー(体育祭)だ。つくばマラソンは大学の授業も取り、完走出来る様、毎回、一所懸命走っている。スポーツデーでは秋のサッカー大会に出場したいと思っている。その為、毎週、土曜日に韓国留学生グループで集まり、サッカーをしている。
以上のように私はいろいろな活動しながら、研究も順調に進めている。去年から研究したデータはもう東京で、口頭発表をした。また、今年からは、少し違うテーマを研究しており、そのデータを11 月にインドネシアで開催される国際学会で発表する予定だ。同時に卒業論文も書いているので、忙しい夏になる。私は日本の留学生活に満足している。そして、1 年半の間に見学した自分の専門が活かせる研究所もある工場やカナダの大学訪問など、私にとって、大事な経験になった。また、これからは、忘れられない素晴らしいエピソードをたくさん作っていきたいと思っているが、危険な地震のエピソードはもうお断りだ。 |