私は韓国にいた頃、人見知りな性格でした。中学校、高校の時には1年間同じクラスにいたのに一度も話したことがなかったクラスメートも多かったです。 数は多くないけれども自分をわかってくれる親友さえいればそれで十分だと思っていました。
高校を卒業し身近な人が誰ひとりいない日本へ来て私は一人になった気分でした。高校の時、頭の中で描いていた留学生活は友達をいっぱい作って日本のいろいろなところへ旅行し、日本のおいしい食べ物を楽しむことだったのになかなか思う通りにならなかったです。
新学期に入ると多くのサークルが新入生を誘うため歓迎会を開きます。私もそこに出て友達を作ろうとしました。しかし面と向かって話していた時、仲良くなれそうだと思っていても連絡先を聞くことができませんでした。私は日本人は自分のプライベートの情報を人にたやすく教えてくれないし、特に連絡先は親しい関係ではないと教えてくれないイメージを持っていました。それで連絡先を聞くことに怯え、一度きりの出会いになってしまったのです。
日本の生活に徐々に慣れてきた頃から大学の韓国人留学生会の委員として活動するようになりました。韓国人留学生会は学内の韓国人留学生の生活をサポートし、学外で日本人やほかの国籍を持つ人たちに韓国の文化を広めるための活動をしています。
私が最初に参加した大きなイベントは横浜みなとみらいで行われた国際仮装パレードです。韓国の伝統服装である「ハンボク」を着てみなとみらい地区を行進しました。行進しながら私たちが韓国人であることをわかってくれる人たちに手を振ったりカメラに向かってピースサインをしたりしました。パレードを見ている人たちも笑顔で答えてくれました。パレードを楽しんでいるごく普通の行動だったのかも知れませんが、私にとっては大きい勇気を絞った行為でした。私が積極的に振舞ってもおかしいという人もいなくて、むしろいい反応が返ってくることがうれしくなった私は、人間関係に対してもっと積極的な姿勢をとっても大丈夫だと思えるようになりました。
また「コリアンマダン」というイベントに参加したことと学祭に参加したことも人と接することに慣れさせてくれました。「コリアンマダン」は韓国のお料理を紹介し販売するお祭りです。「コリアンマダン」と学祭で出した韓国風屋台で働きながら自分から人に話かけられる勇気、見知らない人とスムーズに会話を運ぶ方法を学びました。
私が大学に入ってもう3 年と半年が過ぎました。その間色々な経験を積み重ねてきた今は私が人見知りというと誰も信じてくれないほど積極的になりました。韓国人や日本人の友達だけではなく多様な国籍をもった友達ができました。彼らと過ごしながら、今まで知らなかった世界について聞いて、また自分からも彼らが知らないことを教えながら留学する前に持っていたイメージと近い日常を送っています。今になって入学当時を振り返ってみるとどれだけ自分が小心者だったか笑えるぐらい情けなく感じます。
韓国で大学へ進学していたら狭い人間関係でもいいと思っていた自分のままだったかも知れません。ここ、日本という新しいところへ来て変わった自分を見て、本当にここへきてよかったなと思っています。 |