私はモロッコ王国出身であり、南東にある小さな町であるエルラシデアで生まれた。この町での生活はすごく単純だし、住民達は優しくて真面目なモロッコ人と良く知られています。エルラシデアはモロッコ王国の西砂漠から約100 キロで離れており、昔から「デーツ(英語でdate)」と言う甘い乾果の有名な産地である。子供の頃からお父さんが家族の畑又は知り合いの畑から大量のデーツを持ってきて、友人と一緒に遊んだ後に食べたら大量のエネルギーが供給されました。「デーツ」に関して、世界のイスラム教徒は「ラマダン」と言う断食月(今年は7 月20 日から開始) に良く食べている果物の一つである。一方で、モロッコ王国は知られているように山と海と砂漠からなる豊かな自然を持つ観光地域である。毎年、多くの日本人の方がモロッコで良い休みを過ごしている。これに関して、私はある学部の頃の春休みに帰国した時、飛行機のほとんどの乗客が日本人だったので、非常に驚いた。これに加えて、モロッコ王国ではイスラム文化と共にベルベル族(北アフリカの先住民族)と中央アフリカと旧アンダルシア(南スペイン) の文化が平和に共存しており、2011 年7 月の新憲法中でも強調されている。このような環境で育っていた私は異文化の概念とその理解が小さい頃から身に付いた。
高校を卒業した後に国内で有名な工学専門大学への入学が決定しても留学の挑戦は頭から全然離れていなかった。そこで、2001 年4 月に来日し、文部科学省の奨学生として東京外国語大学の日本語教育センターで1 年ぐらい日本語を勉強した。最初の頃、言葉の壁が有ったため軽い会話以外に日本人との深い接触が全然無かった。日本語教育センターで多くの留学生と一緒に寮の生活を送ってきたことが私にとって大きなチャンスだった。特に、日本に来る前に英語力が不足していたので、英語が母国語となっている留学生と会話して大分上手になった。
夏休みが近くなった時、日本語力を向上するために日本人の家庭にホームステイをすることが良い機会になると先輩から推薦された。九州の暑さについて全然知識が浅かった私は、そこでのホームステイが一番安かったため、もう二人のモロッコ人と日本の南へ飛ぼうと決めた。受け入れた家族がすごく親切だったし、特に宗教的に禁止されている食べ物のことを守ってくれた。初日に普段行っているイスラム的な礼拝をしようとした時、お母さんが笑顔で別の部屋に連れていってくれて「神棚」の前で「やって下さい」と提案した。最初はこの出来事が冗談だと思ったが、お母さんが本気だった。私はショックを受けたが、落ち着いてその頃の貧乏な日本語で当然イスラム教と仏教(又は神道) は神様について違う考え方を持つことを説明しようとした。お母さんはある程度納得したが、「神棚」の前で礼拝しなかったことに対して認めないという印象を受けた。本当に二度とこのようなことを体験したくないと言う実感を持った。
これに関して、大学の環境でイスラム教徒の留学生が良く悩んでいる問題として、例外を除けばやはり飲み会である。参加しても回りの日本人は特に先生方が満足していないことが多いと言われる。酒とワイン類を飲まないと言うことは生活を楽しんでいないし厳しい人間だと判定される。さらに、酒が入ると自分の宗教について整理されていない質問がどんどん挙げられている。それらの質問に答えても次回の飲み会で同じことが繰り返されている。最終的にその留学生は参加しなくなる。
最後に、良く出る疑問として日本に着いたらもう自分の宗教を諦めないといけないと考えている日本人がいる。私も直接に言われたことがある。それではその方々が海外に出るとき、日本文化と日本で慣れたことを諦めるのでしょうかという矛盾がどんどん発生する。確かに異文化の理解をもつ方がいるけど、このような問題を何回も回りの留学生から聞いている。結論を言うと、習慣的な行動と違うことをやる人間が奇妙な者と判断することは間違いなく変な考え方である。私にとって最も重要なことは他者の習慣や考え方や文化や宗教などについての知識と異文化容認が不足している事である。
上記に挙げた問題への部分的な解決に寄与するために、仙台市の住民と外国人の間で(特にイスラム世界から来日している留学生)、異文化の理解を含む国際交流が成り立つように2008年4 月に東北大学イスラム文化協会(Tohoku Univ. IslamicCulture Association : TUMCA) が設立され、メンバーとして積極的に活動している。アラビア語クラスや料理教室や英語フォーラムなどの実施と仙台で開催されている祭りへの参加を通して、自分達の文化と国の紹介を行っている。Facebook のページに入れば面白い写真と動画が共有になっているので参照にしてもらえれば交流活動の雰囲気がつかめると思う。 |