外国語専攻出身の私は思い切って大学院金融専攻に入った。そこで最も苦しんでいるのは数学だ。その山を越えるために、高校生の参考書を読んだり、学部生の基礎科目に傍聴したり、家庭教師に教えてもらうことまで色々な方法を試した。その中で、ほかの方法より遥かに効果がよく、しかもお金がかからないのはKhanAcademy のオープンコースだった。そのメリットは以下のいくつかある。
1. オープンしたコースの中で、自分に最も合う先生のコースを選べる。
2. 映像なので、自分のペースに合わせて勉強できる。分かりにくいところを繰り返し見たり、
既によくわかっているところを飛ばすことができる。
3. 乗車中や喫茶店など、いつでも、どこでも勉強できる。
4. どのランクの学校にいても、世界範囲で最も優れた学者の授業を勉強できる。
メリットはこれ以上いくらでも挙げられる。一言に纏めてみると、オープンコースができたのは教育のカスタマイズであろう。近い将来、オープンコースは既存の教育システムを根本から一新すると断言してもおかしくないと思う。
今まで人間の歴史において、社会の発展に従って教育も日進月歩してきたが、そのエリート教育である本質はほぼ変わっていない。都市部と農村地域の格差はもちろん、同じ地域においても民間ではその学校の資質によってランク付けされる場合が多い。全ての人は同じに教育を受けられるが、同質の教育を受けるわけではない。それは時間、空間、経済力など様々客観的な要素によって教育資源の不均等分布になったわけだ。例えば、優秀な教師なら都市部に集まる、外部環境が良い、安定性が高い、待遇が良いところに集まるのは合理的な傾向であろう。
これらの客観的な問題を解決するには、オープンコースは非常に有効な手段になると考えられる。世界で優秀な学者達の講義を映像化して、インターネットにアップロードする。全世界の勉強者は自由に使用できる。しかも、そのダウンロードを無料化するのも簡単であろう。
1. 既存のビジネスモデルだが、Khan Academy はGoogle と提携して、自分が作成したコースの映像をYouTube にアップロードして、ユーザー数に応じた広告収入をGoogle からもらう。
実際は、Google のみならず、このビジネスモデルを運営し始めたIT 会社は続出している。
2. 政府が企画して、オープンコースを教育事業の一環として運営する。
本来、教育事業として、オープンコースの普遍化は各国政府が役割を果たすべきだが、残念ながらそういう動きは全く取られていない。政府は動きを取らなくても、利益に働かされる企業は模索しながら推進していくと考えられる。ただし、企業の働きには限界がある。なぜかというと、現時点では世界中でまだ48 億人ほどインターネットを利用できない。特に、多くの地域では学校が足りないや、教師が足りないなど、伝統的な教育資源でも極めて不足している。財源や地域環境の問題点、このような問題は未だにうまく解決できていない。これらの地域ではオープンコースを利用すれば低いコストで教育問題を即時に改善できるのであろう。
当然オープンコースの普遍化によって、いくつかの社会問題も出てくる。その中で特に注意すべきなのは、一般的な教師は失業することであろう。学校という組織の必要性を別として、映像とインターネットを通して、一人の優秀な学者が教えられる学生の人数は無限になるため、当然一般的な教師の必要性がなくなる。あまりにも残酷なことだと思われるが、既に事実となってきたロボットが工場の作業員を代替して、ソフトが弁護士を代替して、設備が医者を代替したことのように、知恵産業が他の産業に与えた衝撃の波は既にやってきている。これらの社会問題の対応策についても、政府は早めに考えるべきであろう。 |