私の出身国は中央アジアにあるウズベキスタン共和国である。母国は内陸国であるため、周辺地域からたくさんの人種や国籍の人々が出入りしており、現在も複数の民族が暮らしている。首都はタシケントだが、私は東部のフェルガナ出身で、中でもリシタンという小さな町で生まれ育った。ここは人口が約4万人と少ないが、陶芸家が約800人も住んでいる独特な町である。中央アジアはかつてのシルクロードの中間地点で、特に私の故郷は活気があったと言われている。現在は手工業が盛んであり、陶器の生産が大変有名である。また人々は、日本人のように誠実で、おもてなしを大切にする特徴がある。
ここで、私の家族について少しお話ししたいと思う。私は7人家族の長男で4人の妹がいる。父は地元ガス企業の技術者として働いており、母は主婦として我々子供のために、いつも美味しい家庭料理やパンを作ってくれる。私は母が作った料理が大好きで、母の料理が一番美味しいと思っている。日本に留学して以来、まだ1度も実家に帰っていないので故郷の料理が少し恋しくなっている。ウズベキスタンの料理の中で私がおすすめしたいものがいくつかあり、特に皆さんに食べてもらいたいものが、プロフ、シャシリク、そしてラグマンの3点である。中でも、プロフは日本の炊き込みご飯のような料理であり、我々ウズベク人の日常生活にプロフがないことが想像できないほどの存在だ。そのため、最低週に2 回は必ず食べる。
次に、私が日本について考え始めるきっかけとなった出来事について話したいと思う。先ほども話した通り、故郷は陶器の生産が有名で世界各国から観光客が訪れる。ある時、日本人の大崎さんという男性が故郷にやって来た。彼は私が初めて出会った日本人である。彼は陶芸の技術を学びに来たと同時に、日本語教師として我々子供たちに言葉や文化を教えにやって来た。彼は大変優しく親切な人であったため、みんな彼のことが大好きだった。また、故郷のような小さな町にこのような形で日本人が来てくれたことが私はとても幸せだった。当時私は中学生で、それほど外国に興味がなかったが、もし自分が他国の言語や文化を学んだら将来どうなるのか、漠然とではあったが考えるきっかけとなった。
それから数年が経ち、私は大学生となった。そこで日本について思い出す機会があった。経営学を学んでいた際に、教授が日本のグローバル企業の経営システムや経営手法は大変素晴らしいと話していた。特にトヨタ自動車の「看板管理手法」は世界的に有名で、効率的な経営システムだと教わったことを記憶している。この時から、さらに日本企業の経営手法やシステムを詳しく勉強したいと思うようになった。ある時、友人の兄が大手日本企業に就職したことを知った。彼は立命館アジア太平洋大学に留学し、そこで身に付けた知識や経験がグローバル人材となる上で大きく影響したと聞いた。この話から、私も彼と同じように日本で学び、グローバル人材として企業で働くことが目標になった。そしてついに、彼の後を追うように日本に留学した。現在3年生として、就職を意識しながら引き続き国際経営学を学んでいる。
大学卒業後は、日本の大手企業への就職を希望しており、母国ウズベキスタンと日本を繋げる橋として貿易関係の強化に努力したいと考えている。そして、いつの日か故郷に帰った際は、日本語学校を設立し、日本に留学を希望する後輩たちのための学習環境を整えることが私の大きな夢である。 |