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奨学生エッセイ
 
 
 
テレビに出てくる悪魔と天使
ブラジル出身/ 2009 年9月来日
名古屋大学大学院 情報科学研究科社会システム情報学専攻 博士後期課程3 年在学中
趣味:ラテンダンス、ゲーム
将来の夢:e-Learningシステム開発者になること
研究テーマ:e-Learningや教材開発
 
 

日本に来てから5年になった。日本で生活して様々なことがあった。私の人生に本当に大事なことがたくさんあった。全部はいいことではなかった。しかし、全部はいい経験になって色々なことを学んだ。実は今名古屋大学でやっている研究のことより人間と文化のことについて学んでしまったかもしれない。

違う国の文化と触れ合うことは本当に大事なことだと思う。完全に私と違う生活をやってきた人と知り合って、私が知らないことをしている人、私と違う考え方がある人と話すことは本当にいいことだと思う。日本で様々な国の人や様々な違う文化の人と知り合って色々なことを学んだ。このような人との触れ合いは私を自分について考えさせた。「私は自分が思った通りに本当にいい人かな?」などのことについて考えて自分のことも色々明らかになった。

ブラジルと日本の文化を比べると、一番異なるところは「我慢する」の概念だと私は思う。両方にその表現がある。しかし、意味はほぼ逆になっている。私は今まで経験したことで分かったのは、例えば、日本人は問題がある時に、その問題が本当に大変な問題だとしても「我慢する」。つまり、問題を無視して、何も問題ないつもりで生活をやり続ける。ブラジル人の場合に「我慢する」ことは、本当に大変な問題だとしても、絶対にあきらめなくて、問題を解決するまで自分ができることを全部やってみる。どちらが正しいかどうかは関係なくて、両方が違う生き方というだけである。どちらでもその人は自分がやっていることの結果、帰結に直面する覚悟が必要である。

日本で学んだことで一つの大事なことは、自分の文化を忘れずにほかの人の文化を認めることである。ほかの文化のことをリスペクトするために、その文化を取り入れることや自分の価値観を変える必要はない。自分が同じ状況で違うことをやっても、他の人がやっていることを認めるのは可能である。誰かと話している時に相手の意見を認めるのと同じようなことである。実はカルチャーショックを受けるのは、人が相手の文化をリスペクトしていないからカルチャーショックを受けるのだと思う。だれかが自分の文化をほかの人に貫き通しているか、自分の価値観と異なる文化を取り入れようとしている時にカルチャーショックを受けると思う。

日本で色々な時に誰かがほかの人の文化を無視して、他の人を「改める」つもりで自分の文化を貫き通しているところを見た。その人はそんなことをして他の人を助けていると信じていた。私の目から見ると、自分の文化を貫き通していた人の方を助ける必要があると思う。ほかの人がやっていることの理由を分からずに、その人を改めてみたら大変なことになってしまうかもしれない。

ほかの文化を見て、様々なことを学べる。しかし、学んだことは自分の人生にふさわしいかどうかをよく確認する必要がある。自分の価値観と異ならないことなら自分の文化に盛り込んでも問題ない。しかし、そうじゃないことは自分がやらないことだが、自分と違う考え方をする人がいることを受け入れる。自分の文化と生活している環境にある文化の損益分岐点を見つける必要がある。他の人を傷つけずに自分がどこまでやればいいのか、自分が傷つかないようにどこまでほかの文化を受け取ればいいのか、そのようなことが非常に難しくて、理解できるためによく考える必要がある。しかしそんなことを理解できても周りの人は同じことをやらないと意味がない。皆で平和にできることは皆でやることである。皆がそのために頑張らないとできない。

 
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