私に日本を一言で表してくださいと言われたら<お疲れ様の国>と答えたい。<一日に何度も繰り返すそのことば もしかしたら「こんにちは」よりも多いくらい その人の疲れに「お」をつけて「さま」までつけて「おつかれさまです」と声かけるぼくらの日々>。これは斉藤和義さんの「おつかれさまの国」という曲の歌詞で、この曲は私の一番好きな曲でもある。斉藤さんがいうような、その人の疲れに「お」と「さま」をつけたやさしい<お疲れ様>という言葉は自分が経験した日本とぴったりで、この言葉が好きになった。
あの曲を聴いていると2008年の日本に来た年のことが頭に思い浮かぶ。08年の夏には北京オリンピックが開催された。私は男子100m平泳ぎで人類史上初の59秒の壁を破った北島選手の金メダル獲得の瞬間や「何も言えねえ」というコメントが、同じ時期に韓国の朴泰桓(パク・テファン)選手が400mで金メダル獲得したことより鮮明に頭に浮かぶ。そしてその年のゴルファーの石川遼選手の活躍ぶりも頭に浮かんでくる。
あの歌が思い出させてくれる2008年の記憶は、もちろんスポーツ選手の活躍ぶりだけではない。あの年は国籍や文化が違う数々の人に出会った刺激と変化に満ちた1年であった。そしてあの頃18歳であった私はまだ色々なことに未熟であった。時々親のようにやさしくフォローしてくれたり叱ってくれる存在が必要であった。その時、Tさん、Yさん、Iさんは、国籍も違って日本に来る前の生活もさまざまであったが、私のそういう存在になってくれた。本当に感謝する。まだ大学入学前の自分は、あの頃入学試験に力を注いでいたが、彼女たちは皆大学を経験して日本に来ていた。彼女たちの大学の専攻勉強の話、アルバイトの経験やサークルのことを聞いている間、私の目はいつもきらきらと光ってその面白い話に魅了され、受験勉強は苦にならなかった。未来の自分がいる場所を想像して毎日学んでいくことは楽しく、またその楽しさを教えてくれて背中を押してくれる人がいることで、私は希望していた今の大学に入学することが出来た。彼女たちは今も各々いる場所で私に当時聞かせてくれたような面白い思い出を今もこつこつ作っている。
そしてその3人以外もたくさんの出会いがあった。韓国人で私と同じ年のSは当時から日本の各地を旅行することで有名だったが、大学に入ってその活動範囲は世界に広がり、今はマレーシアで旅行会社に勤めている。当時、助産師が夢だといっていたKさんは看護学科に見事に合格し、今はその勉強の続きで大学院で助産師の勉強をしている。毎晩料理をつくって、食事後は寮の周辺を散歩していたお姉さんたちは帰国して二人とも結婚し、一人は今年娘を産んだが、なんとその名は私と一緒のものをつけたという。彼女と私は当時髪型が似ていたからか、いつも一緒だったからなのか、「最初は姉妹ではないかと思った」と良く言われていた。あのお姉さんの子どもが、自分と同じ名前であることはすごく不思議でうれしい気持ちである。これからその子の成長をみていくことが本当に楽しみである。
私は2008 年の18 歳から2014 年の今まで日本で色々な人に出会ってきた。その一人ひとりの支えで、その一人ひとりの夢を追いかけている姿に刺激され、私はこれまで来られたと思う。私は今大学4年生、来年から社会人になる。また周りの人々と一緒にその道を歩んで行きたく、各々自分がいる場所で夢を追いかけていけたらと思う。「お疲れ様です」を言い交わすことで、この旅はきっと心強く、もっと楽しくなるはずである。 |