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奨学生エッセイ
 
 
 
もっているモノ、もっていないモノ
モンゴル出身/ 2006 年8月来日
北海道大学大学院 医学研究科国際保健専攻 博士課程4 年在学中
趣味:旅行、Table tennis、Tennis
将来の夢:モンゴルで高齢者のためのヘルスケアをよくすること
研究テーマ:スリランカの高齢者における介護に対する認識に関する研究
 
 

日本に来てからもう8年近くになります。思い返して見れば、毎日自分はなにをやりたいのかという自問自答の日々でした。日本に来た時、自分がモンゴル人だという立場から自分に甘かったのです。ゼミや打ち合わせの時、話の方向を間違ったり、表現力が足りなかったり、わからないことと向き合わず誰かに聞くことを後回しにしていました。今考えると、大学を卒業して来た私は、これを知らないと思われるのが怖かったからです。日本人は様々な知識を持っていました。なぜ日本人がこんなにすごいのと驚いていました。それは日本では誰でもインターネットを使って情報を得られる能力や証拠に基づく豊かな情報を持っているからとしか私には考えられませんでした。

今までの恥ずかしい経験を生かして考え方や行動も変わりつつあるのも、日本の皆さんのおかげです。

驚きが終わらない日本。日本では保育所で子供たちが自分の言葉で表現することを身につけるような教育があるそうです。たとえば保育所では昼ごはん食べる前に、代表の子供が最初に味見して自分の言葉で甘い、酸っぱい、どんな野菜が入っているとか、自分で感じたものすべてを皆に発表します。また小学校で当日の出来事を作文にする宿題があります。これはモンゴルの教育にまったくないもので驚きました。

一番驚いたのは息子が歩き始めたときのことでした。私にとって子供は一歳過ぎたら歩くのが当然だろうと思ってそんなに感動していませんでした。でもその進捗を保育所のノートに書くべきでした。日本人のママは日常生活の進捗を細かく書くそうです。でも私はそれを書かなかったため、保育所の先生が息子の歩いている姿を初めて見て感動して泣きましたよ、ということを聞いてカルチャーショックを受けました。もし私はこのことを早く伝えていればと思いました。このことから小さい出来事でも自分なりに表現するのが大事だなと思いました。

日本に来る前に台湾で半年留学していました。そのときの先生は、金持ちは貧しい人々に、力が強い人は弱い人々に助けの手を伸ばすべきと言っていました。当時の私は若すぎて深い意味を理解できていなかった。日本への留学のおかげでいろいろな出会いがありました。その一つは“なぜそこに日本人がいる”という番組でした。日本人が人生をかけて各国でたくさんの人々を助けているのを見て感動しました。なぜそこまでやらなければいけないのと聞きたいこともありました。日本人がどこに行ってもいつも広い心を見せるのが素晴らしいです。

このことから人を喜ばせる、人を笑顔にする、誰かに必要されるというのは何より人生の楽しみではないかと考え始めました。

 
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