エッセイを書く機会をいただき大変うれしく思います。ここでは、私が母国イランを離れて6年以上、外国人大学院生として日本で生活するなかで感じたことを紹介します。
科学技術分野で素晴らしい革新を遂げてきた日本は、高度教育を受けたいと考える世界中の人々が関心を持つ国として有名です。しかし一方で、日本で教育を受けるにはまず日本語を学ぶ必要があるため、外国人には近づきにくい国だというのが、以前の印象でした。
そのような状況が、現在ではまったく変わってきました。日本の主要な大学が英語で講義をおこなう取り組みを開始し、海外に向けて広く玄関を開放するようになりました。おかげで外国人でも日本の高等教育を経験しやすくなったのです。
私自身も、日本の名門である東北大学の高度教育を夢にみていた外国人の一人です。世界中の人々に役立つ日本の技術は常に私を魅了し、日本で高度な研究をおこなうことがいつのまにか私の最大の目標になっていました。
念願がかない日本に来ることができた私は、リサーチレジデントとして仕事をしながら修士号を取得し、その後大学院に戻り、現在は博士号取得を目指して研究を続けています。
研究者は常に論文を執筆し、国内外の学会に参加することが推奨されます。学位を取得するためにはすべての学生が論文を提出する必要があり、さらに国内外での学会発表も必須です。このような厳しい研究生活に没頭できる環境も、私が日本に期待した理由のひとつと言えます。
また、日本の名門大学では多くの研究室が十分な予算をもち、学生たちを学会に送り出せるという点も大変魅力的です。私も博士課程の初年度にはじめて国際学会に参加することができました。国内学会でも、例えば京都のような歴史的な学術都市での参加は、「日本の文化遺産に触れる」ような貴重な経験につながります。そのような機会を与え、支援してくれた教授や研究室の方にはたいへん感謝しています。
一見忙しくて単調にみえる大学での研究生活にも、もちろん楽しいイベントは複数あります。1年に数回、何かをお祝いする名目で「飲み会パーティ」が開かれます。複数の研究室から教授やメンバーが参加して楽しい時間を過ごしたり、私が自前のペルシャ料理を作り、他国出身の学生はその伝統料理を作って持ち寄るなど、エキサイティングな「食の文化交流」をしたこともあります。こういったイベントは、研究漬けの日々のなかで息抜きになり、元気のもとにもなります。
最後に、日本での生活で感じた言葉を2つ、記しておきたいと思います。それは「この6 年間は私にとって“冒険”の連続」だということ。そして「いま私が研究生活を続けていられるのは、日本ならではの“自然な助け合いと親切心”のおかげ」ということです。日本のことを深く知らない私には、毎日多くの困難と冒険が待ち受けていました。しかしそんな私にも日本の人々は忍耐強く対応してくれます。例えば役所やショッピングに行こうとする私を助けるために、さりげなく付き添ってくれる友達がいます。そのような日本人の優しさは、信じられないほどうれしいことでした。
日本は社会全体が非常に速いスピードで成長し、休みなく動き続けている反面、言葉では表現できない落ち着きと安定した文化を持つユニークな国――。このような感想でエッセイを締めくくりたいと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。 |