財団の創立30周年、本当におめでとうございます。財団の温かいご支援のおかげで、私は、今年、無事に博士号を取得することができました。そこで、今回は私が博士課程でどのような研究を進めてきたのかについて少し述べさせていただきたいと思います。
私の専門は刑法で、博士論文のテーマは、「過失犯の共同正犯」です。このテーマは、―その文字通り―、過失犯と共同正犯の複合問題であり、「過失犯」を「共同」で犯すことができるのか。もし、できるのであれば、各自の(刑事)責任はどのような範囲まで認めるのかなどを研究することです。専門用語としてはやや難しそうにも思われるかもしれませんが、実際われわれの生活する中で起きる(若しくは起き得る)事故の中で過失犯の共同正犯の成否が検討されるケースは少なくありません。日本の場合、「JR 福知山線脱線事故」や「明石花火大会歩道橋事故」などで過失犯の共同正犯の適用が検討されました(両方とも過失犯の共同正犯は否定されました)。一方、韓国の場合、「三豊百貨店崩壊事故」や「聖水大橋崩壊事故」など建物の崩壊事故などにおいて、いずれも各行為者間の過失犯の共同正犯が認められました。
ここで興味深いのは、過失犯の共同正犯をめぐり、(必ずとは言えないですが)日本は肯定説が、韓国は否定説が支持されているということです。すなわち、日本の場合、学説と判例が過失犯の共同正犯の成立を認めているが、実際、これが認められるケースはほとんどない反面、韓国の場合、学説は過失犯の共同正犯の成立を否定しているのにもかかわらず、実務上には―日本のそれより―かなり広い範囲で過失犯の共同正犯が認められているのです。
このような状況の下で、過失共同正犯に関して日韓の判例・学説の比較検討を試みることの意義は次の点にあると考えます。まず、韓国刑法典は、その制定の際に、また、施行後の解釈・運用において、日本刑法の影響を強く受けた点です。上記のような相違がそもそも法規定などの差から生じたものであれば、両国の比較研究は意味を薄めるかもしれません。しかし、韓国は刑法典の制定以前から日本刑法と密接な関係を保っており、過失共同正犯についても特に1950年代から1960年代においては、判例と学説の双方において日本刑法が頻繁に参考にされたといえましょう。ただ、その後の変遷過程を経て、日本と韓国との間で、過失共同正犯論は、かなり異なる形になってきていた点は注目すべきと思います。
また、他方において、日本の判例と学説の考え方が、歴史と文化が相当に異なる外国に受容された際にそれがどのように受容されたのか、いかなる変容を遂げたのか、そしてそれはなぜなのかを知ることは、日本における比較法研究(ないし法文化の比較研究)のためにも一つの重要なケーススタディになると考えられます。さらに、韓国の判例や学説の考え方の中に、日本における議論にとっても参考になるアイデアが見つかる可能性もありましょう。もちろん、過失犯と共同正犯に関する日韓の判例実務と学説を単純に比較することはできませんが、相互の比較研究を通じて、韓国における過失犯の共同正犯論の発展過程を改めて整理することにより、「共同正犯」の側面と「過失犯」の側面が複雑に交錯するこのテーマをめぐる学説と判例に内在する問題を抽出し、解決に向けての基本的な視座を獲得することもできるのではないかという考えが私の博士論文のバックボーンをなしております。
過失犯の共同正犯に関する問題は、今後もさまざまな場面において議論されると予測できましょう。その際に、過失犯の共同正犯の成立の可否や正当性などを明確にさせるためにも、このような比較研究が意味を有すると思います。私は、これからも日韓両国の学界・実務界の違い、司法文化の違い、国民性や社会の違い等々に基づいた研究を進めながら、両国に貢献できる学者になることを目指したいと思っております。
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