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奨学生エッセイ
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日本と映画:もうひとつの勉強の仕方
米国・グアム出身/2016年9月来日
名古屋大学大学院 人文学研究科 博士後期課程1年在学中
趣味:音楽、レコード、ライブ
将来の夢:先生
研究テーマ:沖縄におけるドキュメンタリー映画
 
 

学部生の時、部活として毎月2・3回日本の映画の上映会がグアム大学で行われた。講座室の大きいプロジェクターを使い、ピザを食べながら心地よい椅子で北野武、是枝裕和監督などの映画を観賞。10月、ハロウィーンの時期は必ず「怪談」、「ハウス」、「呪怨」みたいなホラー映画で、気分転換としては、宮崎駿や今敏監督のアニメーション映画もたくさん上映された。客はほぼ他の大学の友達、たまには先生も知らない人や学生も参加した。だが、上映会を行うことは時間の無駄遣い、意味もないと感じた時もあった。映画好きな人のほとんどに日本映画は注目されてないし、代表作もあの時はあまりなかった。もちろん、一般人は日本映画ってゴジラしか思い出せない人が多く、若い人はアニメ映画しかしらない。だが、ハリウッドの実写映画化「攻殻機動隊」に北野武の出演が決定、そのあとは是枝監督の「万引き家族」が2018年のパルム・ドール受賞。その時は上映会を行ってよかったと感じ、僕は今までの日本映画の熱意が確認できた。注目されていないことは、注目しないべきとは違う意味で、注目すべき作品はいくつもあるが、批評家、メディアは注目しない。自分で探せば良い。最近の作品以外も、深い日本の映画史の中に今まで西洋が全然注目しなかった監督や作品はたくさんある。

新しい文化や言語を習う時、人はそれぞれの個人的な勉強をする方法がある。僕は日本語を勉強している時には、映画を通して色んな事を学ぶことができた。映画の生々しさは、教科書、歴史、テキストよりおもしろく、雑誌やネット記事に載っている写真より心が動く、何よりも自分の想像してた日本のイメージに影響が強かった。でも映画はそのイメージ、いわゆる表面的な理解だけでなく日本文化、習慣、社会、歴史もちろん日本語などにも、深く幅広い領域での影響ももちろんある。映画と比べるものはなく、特徴はやはりその「窓」のような力を持つことだ。観客は映画の中の「世界」が見えるし、一方でその遠く離れている別の次元のような所が同時に近づいてきて、フィクションなのにもっとリアル感がある。経験できないことが経験できたような映画もあるし、普通の毎日に起こらないことが見えるし、見たことも行ったこともないところも訪ねる。映画祭、ミニシアター、部屋の中、どの場所で観ても見えている世界の「中」へ入り込む。

映画の観賞は、遥かな「世界」、つまり外国の文化、人々、社会などを近づかせる。日本映画はこのグアム人にとっては、日本についての色んな発見や理解ができた:文化の違い、現在の社会問題、バブル、ヤクザや侍の喋り方、各地域の方言、そして僕の島での生活であまりみえない東京、大都会のイメージ、日本の四季、そして風景。ブラックコメディと言われている「家族ゲーム」(1983年・森田芳光監督)は、変わってきた日本社会、特に家族の関係、それぞれのメンバーの役割の限界点が見え、言葉使いもおもしろい。小津安二郎監督の日本家屋や小さな居酒屋などのものはもちろん今はないし、角川映画でみた風景、人のファッション、街並み、音楽などが、もちろん今とは違うが平成生まれなのに昭和、戦後の日本のイメージや生活が映画で味わえる。若者の青春は山下敦弘の「天然コケッコー」(2007年)で田舎の生活に憧れ、日本の音楽や高校生の文化祭などのアメリカやグアムにないことは同じ監督の「リンダ・リンダ・リンダ」(2005年)にあった。一方、若者の苦しみは「リリーのすべて」(2001年・岩井俊二監督)、「お引越し」(1993年・相米慎二監督)などでわかった。今敏の「千年女優」(2002年)はどの教科書よりきれいに日本の歴史、特に映画史が描かれている。他におもしろいだけでなく、日本文化としての映画が多数ある。

しかし、映画は「窓」として考えればその窓の透明さも考えるべきだ。窓はいくつかのタイプはもちろんあるし、映画は文化の鏡でもない。どのぐらい映画をみてもその日本の文化のすべてが理解できないし、もちろん映画にないもの、いない人物もたくさん存在しているし、「見えないもの」もたくさんある。日本の文化を勉強するために映画を観る場合、本当の現実や事実とあっていない可能性もある。ドキュメンタリー映画を含む、あくまで映画はフィクションだ。それにしても、日本の映画はその見えないものを見せようとしている監督や映画がたくさんあり、普段の立場からほぼ違う拠点で撮っている監督もいる。たとえば、東日本大震災に関する映画のなかに、SFストーリーを災害地でロケーション撮影された園子温監督の「ひそひそ星」(2015年)みたいなものもあり、いくつかのアマチュアなドキュメンタリー映画もある。大島渚監督は60年、70年代の学生運動についていくつかの作品を撮ったし、小川プロのドキュメンタリー映画で三里塚闘争がみえる。こういう政治的な力を持つ映画も日本映画であるし、映画としての窓の一部である。普段見えないもの、聞いたこともないもの、ニュースで見えないものが見えてくる。この監督が言っていることに「賛成」でもないし理解もできない場合は多いが、日本の文化や歴史の中の大事なことがいっぱいある。そして、これは映画の魔法を研究するべき理由がある。

 
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