ある日、大学の研究室で他の学生たちと雑談していた時に、たまごの賞味期限がどれほど持つのかという問いが立てられた。簡単な質問とはいえ、みんなの答えがそれぞれ違う。スーパーで売っているパックのたまごの賞味期限は14日間と設定されているが、生食用としての賞味期限であると言われている。インターネットで検索して見たら、たまごは半年以上持つという言い方もあった。賞味期限が過ぎても食べ切れていないたまごは、充分に加熱していればまだ食べられると考えている人が少なくないとみられる。個人の消費者として、賞味期限に対する認識と食品を調理する実践をちょっと変えても、食品のロスを減らすことにもつながる。
賞味期限は元々食品安全問題を防ぐために作られた基準ではあるが、賞味期限について食品衛生上から考えるのは一般であるが、思考をそこまで停止したら、裏に隠されているさまざまな社会問題が見えなくなると思う。たとえば、賞味期限がもたらした食品のロスを根本的に解決するには、食品の生産、加工、流通、消費、廃棄までの流れを変える必要があると考えられる。工業化の進展につれて、食品が大規模に生産され、賞味期限が切れているかどうかにもかかわらず、商品棚に出す前に処分されたものの数が非常に膨大である。国連食糧農業機関の統計によると、世界中で生産された食品のおおよそ三分の一が廃棄されると言われている。欧米の先進国では、ゴミ箱から食べられる食品を集め、食費をゼロにしようと暮らしている人たちがいる。このような新たな生活を実践する動機は経済的な理由ではなく、過剰生産と過剰消費する工業化の進展がもたらした社会問題について反省し、資本主義への対抗に捉えられている。
たまごの話に戻ると、自分もたまごの賞味期限をきちんと守っているわけではないが、たまごを一旦冷蔵庫にしまっておくと、常温より長く保つことができると思い込んでいる。しかし、冷蔵庫の鮮度保持に対する信頼はどこから生まれたのか。冷蔵庫が発明されてから一般な家庭用電気製品とされる今日までの歴史はまだ百年も経っていないが、その普及とともに、食品の保存や鮮度などに対する新たな「常識」が形成された。また、冷蔵技術の進歩によって、食品を長距離で運送することが一般化された代わりに、人々が自分の口に運び込んだものへの信頼は食品を作ってくれた生産者に対してではなく、技術や制度への信頼に入れ替わった。
生産者から消費者までの流れを縮めることを通じて、消費者は安心・安全な食品を入手できた一方、生産者は流通のコストを減らすことからより利益を確保できるようになる。日本政府は1980年代から地産地消という運動を推し進めてきている。京都で暮らし始めると、スーパーや八百屋で「京野菜」という京都の伝統野菜をよく見かけるが、地産の野菜は大体他の産地のものより値段が高いことに気づいた。付加価値の向上は農家にとっては嬉しいことであるが、消費者の購買行動に影響も出てくる。食べ物を巡る社会関係をいかに築き上げて、持続可能な社会を実現するのか、未解決の課題がまだいっぱい残っている。
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