日本に来て7年。大学院を修了してようやく社会人になった。まともなアルバイトの経験もない私にとって、職場は新奇性溢れた別世界のようだ。大学の研究室とは正反対ともいえる環境の中で、スイッチを入れて仕事モードに入るとみんなまじめになる。効率よく仕事をこなすことを最も大事な価値とし、愚痴を言ったり腹立ったりする暇なんてない。助け合うことは当然のように思われ、ひたすら誰かに頼ること、誰かを責めることもない。言葉遣いももちろんきれいだ。立派な大人たちに囲まれているなあといつも席に座りながら思う。
話が遠くなったが、社会人経歴3ヵ月の私にとって、現在一番の感想は「ドラマの世界に入り込んだ」ことだ。
日本に対する認識は、ドラマから始まった。中学時代から日本語の学習が始まり、聴く・話す練習のため先生に勧められたのが「1リットルの涙」。日本の生徒たちがどのような生活を送っているのか、様子を覗くことができた。そしてクラスメートと吹き替えを練習し、学校の行事でも披露した。主人公の妹役を担当していた私の最初のセリフが、「よかったじゃん、包帯とれて」の一言だった。内容はともかく、今更その一文が思い出せるくらい、記憶に鮮明に残っているのだ。
高校生の頃は、将来日本での生活に備えるためにドラマをたくさん見た。好きなのはおそらく日本でも話題作になった「医龍」。ドラマを見ながら言葉の意味や文法を調べ、日本語の勉強に大いに役に立った。学校の作文の宿題に対してドラマの感想文を書いて提出したり、パーティーでドラマの人物のモノマネをしたりするほど、当時の生活がドラマから知った日本と密接に絡んでいた。
憧れの日本に来たのは高校を卒業してからだ。新しい世界に触れたという実感はあったが、ドラマの世界に入ったとまでは思わなかった。その原因は、関わった人のバラエティが足りなかったからだと思う。周りの人は9割以上同世代であり、生活の中心も母国にいた時と変わらず、勉強することだった。とはいえ新しい環境で新しい人間関係を作るのに一苦労した。そこで周りと接点を作ってくれたのは、またドラマだ。実験の疲れを解してくれる「アンナチュラル」を見ていくうちに自然に覚えた曲、「レモン」を研究室の同期と唄っていたことがお互い楽しい記憶になった。
そして現在、いよいよドラマで見たシーンが目の前に起こり、ドラマの世界に入り込んでいるような感想が生じた。その根本的な理由は、職場で出会った様々な人にあると思う。職場のダイバーシティといえば、国籍、性別、年齢のばらつきを想像しがちだが、働いて実感したのは、一人ひとりの個性がそれらに無関係で、十分輝かしいことだ。仕事以外のことに気を遣う余裕がないため、本性を隠そうとしない。仕事の成果さえ出せば、人格を見せかけようとする必要はない。そういった環境の中で、本当の自分を演出している皆さんのおかげで、多彩な個性が共存するドラマチックな場面が次々と現れ、ドラマのように見えてきているのだ。
今になっても、「この私が、本当にこの日本社会の社会人になったのか」とたまに思いを馳せることがある。しかし、周りの先輩たちの姿を見ればすぐ落ち着ける。難しい課題で悩んでいる姿、会議で堂々と発言する姿、テキパキと仕事をこなす姿、それらを見ると頑張ってドラマから日本のことを知ろうとしていた頃の気持ちが蘇る。ただ違うのは、今の私が見られる側の一員になっていることだ。結局社会人になって感じたことは、ドラマの世界に入り込んだというより、素敵な仕事仲間のおかげで、人生そのものがドラマよりもカラフルになったことだ。
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