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奨学生エッセイ
2020年度
 
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祖父の足跡をたどって
カナダ出身/ 2011年4月来日
大阪大学大学院 人間科学研究科博士後期課程2年在学中
趣味:自然に触れること・読書
将来の夢:誰もが参画できる社会づくりに貢献すること
研究テーマ:医療における人工知能活用の社会的側面
 
 

私の祖父は、私が留学生として歩んできている道を照らす光のように感じます。彼も若い頃には留学生であり、奨学金を受けたおかげで道が切り拓かれました。今年は彼の生誕から105年も経ち、亡くなってからも40年となります。私は彼と一度も会うことはできませんでしたが、留学生として、そして 人間としての日々のinspiration である彼をみなさまにも紹介できればと思いました。

私の祖父は1915年に、アシガバートという、当時はロシアの支配下の街に生まれました。古代イランの都市でもあったアシガバートでは、祖父のようなイラン系の住民は多く居住していました。彼らの共同体が賑わい、商売も盛んでしたが、ロシア革命が起こり、イラン系住民は迫害を受けてしまいました。追放された人々も多く、私の祖父の家族もその生活や商売を捨て、イランに去ることを余儀なくされました。だが、そのような辛い経験は一つの恵でもありました。そのおかげで祖父は国際的な視野を持ち、母語のペルシャ語以外にも、ロシア語、トルコ語を身につけることもできました。

イランに移ってからも勉強に励んだ祖父は、パリで経済学を勉強するための奨学金を得ました。パリではフランス語・英語も身につけ、視野が一段と広がり、留学生としての日々は残りの人生をすべて形づけました。祖父も私と同様に、その留学先をもう一つのホームランド・故郷のように感じ、一生愛し続けました。いずれはその当時では珍しかったフランス人女性との国際結婚を経て、フランスにも長く居住し、イランとの行き来を繰り返しました。二カ国間の架け橋でもあった彼は、バハイという信仰を持ち、「地球は単に一つの母国、一つの住まいに過ぎない」というバハイの言葉を合言葉にしていました。

いずれは祖母と力を合わせ、起業をしました。商売にも潔く働きかけ、イランでも有数の利益分配制度を導入した会社を持ちました。だが、一度はアシガバートですでに経験していたようにイラン国内の風景が変わる時が来ました。イラン革命後は、バハイは少数宗教であったため、迫害を受け、バハイが誘拐されたり、むやみに監禁されたり、犠牲になったバハイも多くあります。彼は、私の母と共にイランから逃げ出す機会もありましたが、そのような機会が与えられていない人々を守るために、イランで身を隠し、フランスでのつながりを活かしてLe Monde など、国外の報道へバハイの現状を伝え続けました。命の危険もあるという覚悟でイランに残り、1980年8月 には彼が行方不明となりました。

彼は、自分の商売での成功を楽しみ、快適な老後を過ごせたはずでした。しかしながら、物理的なものにとらわれずに、正義と、自分より弱い立場に立たされている人々を、自分の人生を犠牲にしても守り抜くことを決心しました。若い頃や留学によって得られた経験やスキルを、まさに他の人々のために捧げました。

私は日々の悩みで自分の軸が少し傾いているように感じるときには、彼のこの勇気を思い出します。幸いなことに、私は日本で安心・安全な生活に恵まれ、彼のように試されていません。しかし、弱い立場に立たされている人々を守ろうとした彼から、誰もが自らの能力を発揮し、参画できる社会の重要性を見習っています。いずれは自分の研究を通してこのような社会の構築に貢献できればと、私の夢に向かって、彼の大きい足跡を私の小さな、ゆっくりな足でたどっています。毎日、この道を歩み続けることを可能にしてくださった双日国際交流財団には感謝の気持ちは絶えません。

 
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