多くの昆虫は、食事や交尾、産卵などすべてのライフサイクルは植物との関係が強い。蛾や蝶は一生植物に住むと言っても過言ではない。私は最近、寺田寅彦の文学『烏瓜の花と蛾』という小説を読んだ。本稿で使用した筆者の比喩表現の魅力や天然感を表す表現を感じた。そのため、ここでこの小説を読んで考えたことや、思いついたことをシェアしたいと思った。
烏瓜は、細い蔓を伸ばして他の木を侵略する植物であり、大きな木でも全ての樹冠を占領できる。さらに、烏瓜の蔓は枝の間から垂れ下がり、糸のように見える。他の花と違って、烏瓜の花は、昼間に莟んで、夕方に咲く、夜行性の花である。烏瓜の花は、特に光に敏感なものであり、夏の夕方の明るい空だけでも花の蕾がしっかり握って、なかなか咲かない。けれど、薄暗くなりかけた頃に、すべての花は一遍に開き出す。電灯をつけるためのスイッチのように、烏瓜の花も、どこかに無意識なスイッチがあり、光の加減で自動的に作用し、花を開かせるのではないかと筆者は記載した。或る暮方に烏瓜の花の咲く時間を測定したところ、開きはじめから満開までの時間は5分〜10分であった。咲いている烏瓜の花は「花の骸骨」と呼ばれ、遠くから見ると白い煙のように見える。一方、触ってみると柔らかいけど、粘りと臭気がある花である。昼頃に莟んでいる花を無理やりに開かせようとすると、細胞組織内の水圧が高いため、花びらが巻き縮んでなかなか開かない。光の照明度での開閉という花の特徴があり、筆者は烏瓜の花は一種の光度計と例えている。
蛾は、チョウ目の昆虫に分類されるが、チョウではない。チョウと違って、多くの蛾の触角と腹部は太く、夜間に飛ぶ種が多い。上記に記載したように、烏瓜の花は夜行性の花である。夜に咲いている烏瓜の花は、強い香りで蛾を誘惑する。昼間は存在感がないのに、夜になると蛾は迷わずに、花の周りで突然に沢山飛んでくる。そのため、蛾も一種の光度計の一つではないかと筆者は述べている。
この小説では、生き物と人間の発明した物を例えていた。つまり、そう言った発明したものはもう普通に自然にもある。そのため、いわゆる光度計がなくても、自然のもので何となく光度が分かる(数字でなく、強、弱など)。その結果、自然はもう人生の必要なものがあると自分は思いついた。
尚、私たち人間は、昼間は働き、夜になると帰って寝る。つまり、夜行性ではなく、昼行性の動物という分類とされている。そのため、夜の世界に関する存在性があまり感じないかもしれない。この小説を読んで様々な思いついたこがある。蛾は、烏瓜の花のような夜行性の植物が存在しないと食事がなくて生きられない。同様に、烏瓜は、蛾のような夜行性の動物がいないと受粉活動も起こらない。人間も動物の一種であると分類されており、他の動物や植物の存在がないと、人間も生きられないことは当然である。例えば、植物がないと、太陽があっても光合成することができない。植物も同様に、木を植えた動物がいないと、こんなに速い速度で育つことができないだろう。要はこの世界は、それぞれの依存性があり、それを意識して生きると人生のありがたいという気持ちいが増えてくるのではないかと思った。
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