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日本にいるわたしたちは、何語で話すべきか
台湾出身/2022年10月来日
一橋大学大学院 言語社会研究科 修士2年在学中
趣味:ライブ、映画、漫画、展覧会
将来の夢:バッグパッカーになって世界を旅して、いろんな人と話すこと
研究テーマ:家族写真及び家族のリプレゼンテーション
 
 

日本に来てすでに二年間が経ちました。最初は「日本語ができるから、実際の日本を知りたい」という簡単な考えで日本に来ました。しかし実際に日本にきて、日本語だけでは足りないのではないか、とやはりそう思います。

この間、大学のダイバシティー推進室は、留学生のためにコミュニケーション会を開設してくれました。そのコミュニケーション会のテーマは、「留学生が日本で困ったことについて」でした。その会で話題となっていたのは、「外国人としての私たちは何語で話すべきなのか」ということでした。そこで、私は去年、自分が病院に行ったときの話をみんなと共有しました。

去年の11月に、体の不調で近所のクリニックに行きました。私はもともと学部時代から日本語を学んでいたため、会話には困らない程度の日本語力を持っていて、受付でも普通に日本語で話していました。どこが調子悪いか、今日は何しに来たのか、といった会話もスムーズに進みました。しかし、健康保険証を渡した途端、受付の方が私の名前を見て、私が外国人だとわかり、急に英語で話してくれました。私が「日本語で大丈夫ですよ」と言っても、相手はゆっくりとした日本語で話し始めました。その時、私は少し違和
感を覚えました。

最初の違和感の理由は二つあります。一つ目は、私が最初から日本語で話していたのに、なぜ外国人だと判断されて急に言語を変えられたのかという点です。二つ目は、すべての外国人が英語が得意なわけではないことです。英語で話されても、私にはむしろ不便に感じられました。

去年の私は、このような対応に対して少し嫌な気持ちを持っていました。自分が外国人として排除されているのではないか、理解されていないのではないかと感じたからです。このような考えを変えたきっかけは、ある自分への問いでした。「もし自分が母国にいて、中国語や英語ができない外国人と話すことになったら、自分はどう対応するのか?」という問いでした。恐らく、意思疎通のために、自分も同じように、優しい中国語か英語で話すのでしょう。

そこで私の考えが変わりました。そういった英語対応や優しい日本語は、その受付の方が外国人である私に対する優しさなのではないかなと、私は思うようになりました。病気ですでに不愉快な私に、よりスムーズに診断を受けられるように、それは相手が私に対する気遣いですね。そして、その違和感はどこからきたのかというと、それは多分自分が日本に生活している外国人として、日本と日本人に受け入れてもらいたかった、というところからなのではないでしょうか。

とはいえ、何語で話すべきかという問題はやはり存在していると思います。私が実際に日本にきて、最も実感できたのは、日本社会はより多彩的な社会になっていくということです。日本は現在、留学生だけでなく、海外からの労働力も積極的に受け入れています。これから日本はより多文化的で、多言語的な国になっていくはずです。そこで、私がこの文章の題名で提起したように、何語で話すべきなのかわからない時がまたくるのでしょう。それは日本人にとってだけではなく、外国人である私たちも同様です。

またこのような問題が生じたら、私たちはどう対応すべきでしょうか。まだ答えのない今、私に考えられるのは、「一人一人の意思を尊重し、きちんと向き合うしかない」ということです。国籍にとらわれず、多様な人々と向き合い、言葉の壁を乗り越えてお互いを理解し合うことが求められます。そして少しずつ、日本と世界は、変わっていくでしょう。

 
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