私が日本の大学を選んだ最も大きな理由は、日本人のやさしさに感動したからです。小さい時からよく日本人に会ったり、話したりする機会がありました。母は日本に留学したことがあるので、時々ネパールに母の友達がきて、うちに泊まります。私は日本語がまったく分からず、母の友達とジェスチャーで話し、友達になりました。その後、私は日本語を勉強し、文化や歴史にも興味を持つようになりました。その後、一度母と日本に来たとき、母の友達が旅行に連れて行ってくれました。そのときに、日本の家族を知り、とても気に入りました。母の友人たちの私への接し方は、私が家族みたいに感じさせてくれました。そこで、私は日本人のおもてなしの心に感銘を受け、日本についてさらに知りたいと思いました。そして、立命館アジア太平洋大学(APU)を見つけ、この大学の半分は日本人学生、もう半分は国際学生だということを知りました。私が日本に行きたいと思った理由は、日本人に会う機会があったからでした。さらに、大学で日本と同じように興味を持てるような国をもっと知ろうと思いました。このように、日本人のやさしさが強く印象に残ったので、日本に留学しようと思いました。
慣れ親しんだ故郷を離れ、一人で留学することは大変なことでした。しかし、家から遠く離れたAPU の生活に足を踏み入れた瞬間、ここが私のいる場所だという意識が芽生えました。大学1年生の時は、みんな大学の寮に住みました。その時、寮の友達と一緒にご飯を作ったり、話したりして時間を過ごしました。同時に、私は母国ネパールの話を語り、友人たちに新しい味や伝統を紹介しました。一緒に料理を作って食べて、寮で新しい友達のコミュニティを作りました。寮では、異なる文化の友達や日本人と共に笑い合い、レシピを教え合ったり、語り合ったりしました。多様な背景を持つ友人たちと一緒にご飯を作って食べることで、ホームシックの苦しみを和らげるような心地よい親しみが生まれました。食事を共にすることは単に食べるという行為を意味するだけではなく、異なる文化を理解することでもありました。
2年生になって寮を離れ友人たちと自立して生活することで、寮で築いた絆はさらに深まりました。一緒に料理をすることが毎日の儀式となり、くつろぎ、経験を分かち合い、幸せな時間を過ごしました。私たちのアパートは、笑いと助け合いにあふれる場所になりました。食事を共にする喜びは、私たちの小さな友だちの輪を超え、他の友人たちを迎え、活気に満ちたあたたかい雰囲気をもたらしました。
食事を作り、分かち合うというシンプルな行為を通して、私は深遠な真実を発見しました。それは文化の違いを超えた友情の方程式なのです。自分の旅を振り返りながら、自分を形成してくれた経験への感謝の気持ちでいっぱいです。私は友達と料理を共にすることで、新しい「家」を見つけることができました。異国の地である日本で、料理を通じて出会った友人たちと築いた絆は、私にとって新しい家族のような存在です。奨学生仲間の皆さん、この美しい伝統を一緒に分かち合いませんか。私はこれからも、共に集い、ご飯を作り、人生を豊かにする永遠の絆を築いていきたいと思っています。

アルバイトの友達(ごとうさん)から作ってもらった食事
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