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私と日本、そして信仰との距離の中で見えたもの
インドネシア出身/2018年4月来日
大阪大学大学院 言語文化研究科 博士後期課程3年在学中
趣味:カメラ、ハイキング、ジョギング
将来の夢:日本語・インドネシア語の教師
研究テーマ:日本語とインドネシア語の初対面会話に関する研究
 
 

私はインドネシア出身で、日本に来る前はイスラム教徒としての日常を当たり前のように暮らしてきました。モスクのアザーンが聞こえ、どこでも礼拝ができ、ハラールの食事にも困りませんでした。宗教は社会の中に自然に存在していました。そのため、日本に来てからその環境がないことに最初は戸惑いました。街中にモスクもアザーンもなく、礼拝のために静かな場所を探すのは簡単ではありません。食事の際も自分でハラールか確認し、断る勇気も必要でした。 一方で、多くの日本人は「宗教を持っていない」と言いますが、神社やお寺で手を合わせる姿を何度も見て最初は不思議でした。しかし、日本で暮らすうちに「信仰はある。ただ言葉にしないだけ。個人の中にあるのだ」とだんだん気づきました。

日本では宗教は集団のアイデンティティではなく、静かに個人に存在するものだと分かってきました。インドネシアでは、宗教行事は社会的イベントです。ラマダンでは皆で断食し、祈り、祝います。日本の祭りも宗教を中心にしながら、地域文化として行われています。宗教を表に出さない社会の中に、むしろ深い精神が流れていると感じました。

また、日本社会には「他人に迷惑をかけないように生きる」や「場所を綺麗に守る」という幾つかの倫理があります。それは宗教に基づくものではなく、マナーや配慮として自然に身につくものです。宗教により「善を行い悪を避け る」ことを学んできた私にとって、日本人の行動は宗教を通さずとも同じ精神に通じているように思えました。

私は「ヒジャブ」というスカーフを身に着けているため、日本人はすぐに私が「外国人」かつ「イスラム教徒」であることをすぐ理解するでしょう。ある日、日本人の友人から「イスラム教について私はほとんど知らないけど、あな たの言葉や行動から学んでいる」と言われたことがありました。その一言は、私にとってとても重く心に残りました。もし私の態度がよくなければ、「イスラム教とはこういうものだ」と誤解されたらどうしようと感じました。その責任 の重さにいまでも不安を抱いていますが、だからこそ、自分の言動を意識するようになりました。イスラムの教えに沿って誠実に行動し、「これがイスラムなんだ」と自然に伝わればと思うようになりました。もちろん私は人間なので失敗もします。それは私個人の問題であり、宗教そのものではありませんが、この環境で自分自身を見つめ直す機会を得られたことに深く感謝しています。日本での生活は、信仰を表に出すことよりも、内面と静かさに向き合うことの大切さを教えてくれました。

日本での生活を通じて、私は「インドネシア人」として、また「イスラム教徒」としての自覚をより強く意識するようになりました。どう見られるか、どう行動するかを常に考え、信仰や価値観を再確認する機会を得ました。日本でマイノリティとして生きることは、宗教から離れることではなく、むしろ神との関係を見つめ直す時間が増えることでした。誰に見られていなくても祈るという行為は、形式ではなく意志の選択であり、それは私と神との結びつきをより深めてくれました。

こうしたイスラム教に対する新たな気づきが得られたことに感謝すると同時に、言葉や文化、信仰などが違っても、人との関係を大切にし、意識的に築いていくことの必要性にも強く気づかされたと思います。これからも私は、「違いを越えて共に生きる」方法を探し続けたいと思います。言語、文化、信仰が異なっていても、理解と尊重があれば、人と人との関係は築けるということを日本での生活が教えてくれました。私もその「架け橋」の一つとなれるよう、これからも誠実に学び、行動していきたいと思います。


現地の学校の祭りで行われたイスラム教紹介活動


日本初のモスク、神戸モスク


インドネシア人のムスリムコミュニティの一つ

 
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