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奨学生エッセイ
 
 
 
成長と衰退について
ドイツ出身/ 2008年10月来日
早稲田大学 文学部 文学科卒業
趣味:漢字学習、外国語学習、読書、サッカー
将来の夢:国際社会の発展に貢献すること
現在の職業:宣伝業務(北米、欧州、豪州における媒体購買)
 
 

外国語は使えば使うほど上達するもの。言ってみれば当然のことです。また、外国語の学習者にとってはきわめて重要なコンセプトでもあります。成長の見込みがあるからこそ学習者は紆余曲折している外国語の坂道を上る努力を続けるに違いありません。逆にその前提でなければ、モチベーションが持続しないことでしょう。しかし、幸いなことに「外国語は使えば使うほど上達するもの」というコンセプトは疑いようのない、確実な公理である…と、私も永年信じていました。ところが、最近の経験は、そのコンセプトが必ずしも正しいとは限らないことを裏づける証拠となってしまったようです。

私が日本語を勉強しはじめたのは中学生のころです。母国の学校でひらがな、カタカナ、小学生レベルの漢字、そして基礎文法を習得し、高校一年生になった際に一年弱の交換留学が実現できました。ドイツに戻り高校を卒業し、徴兵制度における代替役(社会奉仕活動)を経て、日本の大学に入学するために再度来日しました。その後、大学で四年間、日本語と日本文学を研究し、2014年の大学卒業後、現在の勤め先に入社しました。振り返ってみれば、これらの個々のステップはまさに「階段」のようなものを形成し、常により高い所をめざす私の「外国語の坂道」であったと言えます。階段を上るにつれ日本語能力が発達し、モチベーションもまた向上しました。

ところが、就職後、この動向は一変しました。特に社会人四年目の今は、日本語能力の低下を痛感する時期です。現在も変わらず日本人に囲まれ、日本語でコミュニケーションをとる生活を送っているものの、自分の日本語のレベルが間違いなく低下していると感じています。時には言葉の選び方に迷い、時には明らかに誤った日本語を発する…。このように、持っているはずの言語能力が瞬間的に「麻痺」してしまうケースが多々あります。大学時代には珍しかったこの現象はいったいなぜ起こるのか。もちろん、能力低下の過程が複雑なはずのため、すべての要因の特定は難しいと推測されますが、次の三つの原因が特に大きいのではなかろうかと思います:

一、手書きをする機会が極端に少ないこと
二、日常的に使用する言語表現が非常に限られていること
三、業務上求められるスキルが表現力ではなく効率的な情報伝達であること

大学時代と比較した場合の、言語生活における最も大きな変化といえばこの三点です。手書きをする機会の減少によって語彙との物理的な触れ合いも激減。日常的に使用する言葉の数が少なく、語彙力が衰退。業務において専ら効率を求められ、コミュニケーションがマニュアル化。これらの問題が結果的に私の日本語能力の低下を招いたに違いありません。

幸い、衰退していない言語能力もあります。たとえば、人が「喧々諤々の議論」や「ご覧になられる」などのような表現を用いると、それが「侃々諤々の議論」、「ご覧になる」の誤りであることは今でも記憶しています。研究を通じて得られた知識が消えたわけではありません。しかし、このように維持できているのはあくまで受動的な理解能力であり、能動的な発信能力の低下は残念ながら否定できません。

では、言語能力のさらなる低下を防ぐにはどのような対策をとればよいのか。実に難しい問題です。結局は会社以外の場での充分な言語活動を以て不足の補填を図るべきかもしれません。言うまでもなく、社会人は時間に制限があるため、そう簡単なことではありません。その意味でも会社の八月の夏季休暇は天からの贈り物なのかもしれません。夏季休暇を活用して少しでも挽回が実現できるよう、勉強に邁進してみたいと思います。

外国語は使えば使うほど上達するもの。よく考えてみると、本当にそうかもしれません。今痛感する言語能力の低下も結局、日本企業に勤める私が日本語を充分に使っていないことが原因であったのではないでしょうか。

 
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