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奨学生エッセイ
 
 
 
幸せのご飯
ベトナム出身/ 2015年9月来日
岡山大学大学院 教育学研究科 修士1年在学中
趣味:読書、旅行
将来の夢:ベトナムでキャリア教育に関するNPOを立ち上げること
研究テーマ:外国人技能実習生に関する研究―キャリア教育の視点から
 
 

私はベトナム人留学生です。ベトナムにいた頃、毎日のご飯は母が作ってくれました。しかし、そのご飯は、毎日同じようなものばかりで、時にはしょっぱすぎることもありました。私が嫌な顔をして食べたくなさそうにしていると、母は「昔は白米さえあれば、美味しいご飯だったのよ。今のあなたは贅沢な暮らしをしてるから、ご飯の大切さが分からないのよ」と叱りました。

ある日、父は物乞いの子供を見かけて、家族と一緒にご飯を食べさせました。いつも通りのつまらないご飯について不平を言った私にひきかえ、その子は父に「ご飯はどう?美味しい?」と聞かれると、「とても美味しいです。これほどおいしいご飯を食べたことがないです。本当にありがとうございました」と嬉しそうに答えました。私はその子の表情と言葉に驚かされました。私が好まない母のご飯は物乞いの子供にとって、なぜそれほど「幸せのご飯」になったのでしょうか。

5年前、私は日本に来て一人暮らしを始めました。家族と離れて寂しいだけでなく、食事ができない時もありました。外食をしても馴染みのない料理が口に合わない時もありました。そんな経験をした今、母の料理に対して文句を言っていた自分を後悔し、故郷でのご飯が懐かしく感じるようになりました。

日本では、食事の前に、いつも「いただきます」、そして終わったら「ごちそうさま」と言う習慣があることを日本に来て初めて知りました。ベトナムでは、食べる前も食べた後も何も言いません。ですから、このような習慣は私には全然理解できませんでした。ある時、私は日本人の先生に「なぜ日本にはそんなマナーがあるのか」と尋ねたところ、「それは食べ物を与えてくださった人々に対する感謝の気持ちを表す言葉だ」と教えてくださいました。先生は「日本人は相手の気持ちを大切にする文化がある。だから、食べる人が、作ってくれた人に感謝するのはもちろんだが、それよりも、作った人がそれを聞くと幸せになるでしょう」と言いました。18年間にわたって母がご飯を作ってくれたのに、母に「ありがとう」どころか、時には不平さえ言っていた私は、先生の話を聞いて恥ずかしくて声も出ませんでした。そして、心から反省しました。

時間をかけて春休みに帰国して、母のご飯をまた食べた時、嬉しく思うと同時になぜか涙が出てきました。その日のご飯は、昔文句を言ったはずの料理なのに、今までで一番おいしいご飯だと感じました。一度家族と離れ、初めて食べた母のご飯、ありがたさが身に染みました。そして、母に「お母さん、いつもご飯を作ってくれて、ありがとう」と言いました。すると、母は何も言わず、ただ笑っていました。その笑顔を見て、母が私の感謝の言葉を喜んでくれていると分かりました。私にとって、それは本当に幸せなご飯でした。

かつて、母のご飯を幸せそうに食べた物乞いの子供の言葉を思い出すと、その子の気持ちが分かるようになりました。恐らく物乞いの子供にとって、母のご飯が一番おいしいものかもしれませんが、それよりも作ってくれた母に対して感謝の気持ちを表したかったのでしょう。「幸せなご飯」とは、食卓の上の料理がどうであれ、「食べて良かった」「食べて嬉しい」というようなご飯、そしてそのご飯を作った人に対する感謝の気持ちから成り立つと思います。私は、日本に来てから、相手の気持ちを大切にするという日本人の価値観を学ぶことができました。母のご飯のように、自分のすぐ近くにある素朴な幸せの存在を大事にする心です。今まで嫌だった母のご飯、しかしそれは母が愛情をこめて、作ってくれたご飯なのです。それがどんなに貴重なものだったのか分かりました。母が作ってくれたご飯、今は本当に大好きです。お母さん、ありがとう。では、皆さんにとって、幸せなご飯はどんな味があるでしょう。

 
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